荻窪駅の南側にはここ数年で人気店になった「丸長」が昔からあったようだが、
ぼくが荻窪在住時代の記憶はない。行ったことはあるかもしれないが、
残念ながら記憶にない。いまとはまったく別の店だったのだろう。

目白にも丸長はあるが、
荻窪と親戚関係らしい。
家の近所にある丸長の店主に聞いた。
この店も親戚の方で、残念ながら2年前に店を畳んだ。

ちなみに、丸長グループというのがある。
詳細を知りたい方は調べていただきたいが、かんたんにいうと、信州出身者の集まり。
戦後、東京に出てきて中華そば屋さんを始めた仲間みたい。
もともと日本そばの職人さんだったらしいが、
手軽にできるというのでラーメン屋を選んだという。

というわけで、前回、印象を綴った3店とともに好きだったお店が、協会通りにできた「二葉」。
事情は追々書くが、昭和五十八年の開店じゃないかな。
はっきり覚えているのは、ぼくが大学を卒業した年にできたから。
その後、転職することになるのだが、さえない会社にようやく就職が決まった2月か3月のこと。学生時代は遊ぶかバイトばかりしていた悪いぼくちゃん。夜中、腹が減ったので、協会通りを駅の方へ向かった。近くのコンビニで何か買っても良かったんだけど、温かいものが食べたくなった。

薄暗い商店街をとぼとぼ歩いていると、明るい灯が見えた。
「いつのまにかラーメン屋ができているではないか」
これは入るしかない、と即座に決める。

カウンター8席ほどの小さなお店。客はいない。
ラーメンの出来上がりを待ちながら、ご主人に話をうかがう。

「なぜ、激戦の荻窪にお店をだしたんですか?」とぼく。
「だから出店したんですよ」と店主。
「ラーメン好きのお客さんがたくさん集まって来るじゃないですか」

相当、自信があるんだ。

供されたラーメンを見る。かなり、どんぶりが大きい。
スープは少し濁ってる。煮干しの匂いとともにユズのさわやかな香りが漂う。
小ぶりのチャーシューとメンマ。麺は中細のストレート麺。
ぼくの好きなシンプルな醤油ラーメンだ。

まずは、レンゲを使ってスープを味わう。
「うまい」同じ煮干しを使っているが、春木屋と少しちがう。
トンコツスープがやや濃厚。そのため、春木屋のようにキレはないが、
押し出しがある。

「以前は何をやっていたんですか?」
「麹町でステーキハウスをやってたんですよ」
「こんどテレビが取材に来るから、、また来てください」

もちろん、取材日にも伺ったが、
その後、仕事が忙しくなり、このご主人とはあまり会った記憶がない。

いま、いろんなタイプのラーメンのお店があるけど、この店ほど感動したことはない。
もちろんその後、有名店になったが、経営者が変わるなど、
いま、あの場所には違うラーメン屋が入っている。

荻窪の4店を中心に都内のラーメン屋を回った。
もちろん、荻窪を離れたあとも、たまに顔をだしている。
現在でも、それは変わらないが、頻度は落ちたような気がする。

昔、仕事で使っていた女の子を金曜日の飲みの後お持ち帰りした翌日、
車で荻窪まで送ったことが何回ある。そのとき二人でよく行ったのが「二葉」
この娘と初めて関係を持った翌週、
「あのことはなかったとにしてくれ」と電話。
30分ぐらいで会社に駆け込んできた彼女。
ほとんど普段の格好だった。


青春というには遅すぎる歳だったかもしれないが、甘酸っぱい思い出。

(次回に続く)


僕が上京したのは、1978年。早稲田の賄付下宿で1年間浪人し、
大学入学後、杉並に住み始めた。
その1年後に上井草から荻窪に引っ越し。その後、吉祥寺に移るまで6,7年暮らした。

で、早速行きました、荻窪のラーメン店。「丸信」「春木屋」「丸福」などなど。特に北口の店によく行きました。
東京、いや全国的にラーメン専門店が増えてしまった今では信じられない方もいらっしゃるだろうが、当時はラーメンの街として君臨していた。
当時、アングルという情報誌があって、ラーメン屋特集で紹介できるお店も少なく、その中で荻窪は数店ノミネートされていたと記憶している。

もともとラーメン好きだったぼくは、上京後はじめて東京ラーメンを食したとき、
「なんてまずいんだ」と思ったものだ。
というのも、故郷の岡山にはおいしい店が多く、「やまと」「」といった老舗のほか、昭和40年代から十数年にわたり一世風靡した「すわき後楽中華そば」というチェーンの名店があったからだ。
いまでいう、とんこつ醤油というのだろうか、価格も東京ラーメンが250円から300円というのが当時の相場だとすれば、岡山のラーメンは400円前後で、ぼくの舌でもはっきりと違いわかった。各店もそれぞれ個性を打ち出していて、互いに切磋琢磨していた。これは荻窪でも同じだろう。

「やまと」は、いわゆる洋食店で、通(つう)はかつ丼(ドミグラスソースかけ)と一緒に注文する。
市内の表町というところにあるので、岡山にお寄りの際はぜひどうぞ。代がかわったから、「味が落ちた」(私の父親談)とはいえ、基本は同じはずだ。

話がそれてしまったが、かつての荻窪ラーメンの状況はどうだったかというと。

初めて食べたのはどの店だったか忘れてしまった。
で、感想。
「たしかに町の中華料理店のラーメンと比べると、かなり工夫しているが、岡山のラーメンに比べるといまいち。ふつうの醤油ラーメンじゃん。コクもなんにもない」
というのが率直な気持ちだった。

記憶をたぐれば、初めて各店に行ったとき、価格は「丸信」「丸福」が330円、「春木屋」が380円だったと記憶している。
前2者と比べ後者が50円高い。以後、各店は値上げを繰り返していくのだが、この価格差は各店はっきりと意識していたようだ。最終的には100円の価格差がついていたはず。

▷各店の昭和50~60年代の印象

「春木屋」
あらゆる面で荻窪ラーメンをリードしていた。北口から徒歩5分ほどの青梅街道沿いに立地。出汁に煮干しを使っており、「いまいち」と、思いながらも唸った記憶がある。NHKの「東京の老舗」(うろ覚え)という料理番組に店名なしで出演したあとの休日、青梅街道沿いに列が200メートルできて驚いたものだ。いまの店舗は、その後建て替えたもので、建築中は天沼の奥の仮店舗で営業、一時あまり並ばなくても食べられるようになった。昔の店舗には座敷だあった。創業者は屋台で始めた苦労人らしく「お客の舌に負けないよう、味は常に進歩させている」などと話していた。昨年、訪問したとき「チャーシューの肉か味変えました?」と職人さんに聞くと、「わまります?」と、うれしそうに話していたの印象的だった。

「丸信」
駅北口の階段を上がり表にでると、やや斜め右30メートルほど先にお店が見えた。いまはもうない。四面道近くにある本店の出店。春木屋が煮干しなら、ここはかつおぶし。このかつお出汁がいい塩梅。中太ストレート麺と力強いスープがマッチしていた。店の横の通路で大量のメンマをもどしているの見たことがあるが、メンマにもしっか味がついてあり、とてもうまい。ビールを頼むとメンマにネギとタレをかけた小皿が供される。懐具合と相談しながら、つまみにメンマ(250円くらいだった)を頼みビールを飲むのが好きだった。〆はもちろんラーメン。熱燗を追加したのは社会人になってからか。本店は現在、営業時間を縮小、当時の味と変わってしまったため、当時のラーメンを食べてみたい。というか、ビールを一杯やりたい。キリンラガーがいつ行ってもキンキンに冷えていました。

「丸福」
丸信と反対側の青梅街道沿いに立地。8人も座れば満席になるような屋台のようなお店だった。北口のバスロータリーの拡張工事のため、丸信と同時期に撤去するも、春木屋よりの街道沿いに移転営業。詳しくは書かないが、その後廃業。天沼商店街入り口にある丸福は別経営の店。この辺りの事情は週刊誌でも報じられる。特徴はなんといっても煮卵だろう。発祥のお店とされる。ほとんどの客がプラス50円でたまごそばを注文していた。大きめの鍋にひき肉と一緒に煮込んだ卵が仕込まれていた。中華そば(もやし入り)を仕上げると、お玉で煮卵とひき肉、煮汁をひょいとすくい、丼の中にやさしく投入。狭い店舗だけに3店の中では一番混んでいた。というか初めて客はなかり入りづらかったのではないか。鶏ガラ主体のスープとみている。終電近くまで営業。ここで学生時代の友人とばったり遭遇、春木屋同様遠方から通う客が多かったようだ。

◆3店の共通点は、ザルを使い麺をひと玉ずつすくい上げること。客の数を見ながら時間差で麺を投入することできる利点があるし、客も「名人芸」(?)をみながら待つことができる。

ぼくは、荻窪ラーメンの虜になる。

(次回に続く)
http://www.j-cast.com/2014/01/25194797.html?p=all

↑ 引用先

ぼくが知るところによると、ここんところ「住みたい街のナンバー1」だった吉祥寺に“ケチ”がついたみたいだ。
やっかみ半分、ってところもあるのかもしれない。
ぼくが吉祥寺に住んだのは90年前後のわずか数年間。20代のころのことだ。
住所自体は三鷹市の「牟礼団地」だったが、駅からバスで10分弱、自転車で5分といったところ。
通勤にはバスも自転車も併用していた。
駅から適度に離れているので、バス代も会社に請求できたし、
実際、住んでみたい街だったからだ。

当時、牟礼団地(かつての公団)には単身者用の賃貸住宅があって、
家賃は2万円。といっても居住スペースは入口玄関の流し(1口のコンロが置けたっけ)スペースも含め5畳程度。
共同風呂があって、5人も一緒に入ればいっぱいの狭いスペースで、
月、木、土に入れるのみ。トイレももちろん共同。
当時はまだ30歳前後と若いからよかった。風呂がない日でも5月ころから晩秋までは、風呂場を使って体を洗っていたな。さすがに日曜は遠くの銭湯にチャリで通っていた。
多くの居住者が自分の部屋の前の廊下に洗濯機を置いていて、
共同トイレのある前の洗い場っていうのかな、そこで洗濯していた。
ぼくも中古で9800円くらいの洗濯機を買ってそうしていた。

いちばん困ったのは
「コイル君の部屋に遊びにいってもいい?」
って、女の子に聞かれたときなど。なんせ、風呂ないし、汚いし、一応「異性を連れ込むのはダメ」みたいな規約もあったように記憶している。
いまになって思えば、どうにでもなるんだろうけど、
けっこう、おれって、ええかっこーしだしね。


話は大きく脱線したみたいだが、
本題の「吉祥寺は住みたい街か?」

ぼくが住んでいたころは、かなり気に入っていた。
大中小の書店はあるし、今はすたれてしまったけれど、中古屋さんも含め、
レコード屋なんかもかなりあった。それに飲食店など。

女の子とデートしたり、楽しい思い出も多い。
ぼくfが好きなジャズ喫茶もかつてはあった。
いま残っているところもあるけど。
AVを借りていた小さなレンタルビデオ屋さんもかつてはあった。
井之頭公園を借景に頂くレストラン「扶桑亭」はいまもあるはず。

ただ、ハモニカ横丁はかなり変わったと思う。
若い人が入り込んでいて飲み屋とか思い思いの店を出しているよね。

個人的には住みたいとも思うが、若いとき数年間住んだんだからもういいかなんてとも思う。
休日にたまに、ぶらりとでも行ければいいじゃないかとも思う。
というか、家賃とか地価に問題あり、あくまでも個人的にだけど。

ちなみに、ぼくらの世代の一部には、吉祥寺にモーレツに憧れていたヤツはそこそこ多かったのではないか。
テレビドラマ「俺たちの旅」の舞台だったからといのもあるし、「中央線沿線文化」なんて言葉もある。実際、若いころ、中央線沿線での甘酸っぱい思い出はけっこうある。

懐かしいなー、と強烈に思うが、かといって当時の自分に戻りたいとは思わない。

「俺たちの旅」の監督は昨年だったか、一昨年だったか亡くなってしまった。
ぼくがいま住むマンションに事務所だか住居をもうけていたのだが、
いまでは集合ポストに
「郵便物はいれないでください」とシールが張られ、その部屋にはもう誰も住んでいない。

そして、ぼくが住んでいた牟礼団地の単身者用の建物もいまはもうない。。


ブログネタ:今後乗り物乗り放題と、いま100万円出すとどこでもドアが買える。どっちがいい? 参加中

私はいま100万円出してどこでもドアを買う 派!

買うっきゃないでしょう。
すぐに元は取れます。

たった100万円ですよ!
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもあったように
未来の出来事がわかったら、大金持ちになれます。

それはそうとして、人間は現在を生きています。

たまには過去の自分を見たいと思いませんか?
未来の自分を見たいと思いませんか?

ただし。
過去はいいとしても、
20年後の未来に行ったら、自分がいない、なーんてこともありそう。

それはショックなことだよね。

好きな言葉。
「自分の過去は消すことはでききないけれど、未来は変えることができる」

今後乗り物乗り放題を選んだ方は、リア充の方なんだろな、たぶん。








今後乗り物乗り放題と、いま100万円出すとどこでもドアが買える。どっちがいい?
  • 今後乗り物乗り放題
  • いま100万円出してどこでもドアを買う

気になる投票結果は!?

 
中野の沼袋に行ってきました。
「ホルモン」に行くためです。

 
西武新宿線沼袋駅北口、夕刻17:28くらいかな。
このビルディングはぼくが学生の頃、
30年以上前からありました、まだまだ現役、、、、
つーか、沼袋のシンボルか?

はるか昔、この近くにに歌手の三波春夫の豪邸があったので、
「ちゃんちき通り」なんてのもあったみたいですが、いまは、普通に江古田通り。

 
本日の出没先は、「ホルモン」という看板のあるやきとん屋さん。
以前、付き合っていたイラストレーターの方に、10年以上前に教えてもらったお店。
親子2人(たぶん、父、息子)でやっていて、
営業時間が午後5時半から10時というのも潔い。

  
本日は、カシラとナンコツ、塩で2本ずつ焼いてもらいました。あとでナンコツ2本追加。
うまい。
角瓶にはいった金色の液体はシロップ。
焼酎に入れるわけですが、ぼくはスルー、入れないです。
焼酎3杯飲んだことありますが、かなり効きます。


  
まずはビール。大瓶500円、なかなkお目にかかれないお値段。
串が110円。
焼酎はいくらだったのかな?
写真では見づらいですが、おしんこ110円?
この熱燗器がめずらいいと思います。

 
 こんな感じのメニューが壁にあります。

やさぐれた感じのおじさんが多いのですが、いい感じのお店。
お一人でどうぞ。
昨年5月ごろですかね、
サッポロビールの営業マン3人組が飲みに来ていました。
もちろん、営業エリア外の営業マンみたいでした。

ここんちのビールはサッポロですから。
ちなみに焼酎の銘柄もサッポロらしいです。
 




 
きょうは中野を散策。中野駅北口もずいぶん変わりましたねえ。
学生時代からお世話になった町。
かつて通い詰めたジャズ喫茶「ビアズレー」もとっくの昔に消滅。


   
 サンモール。奥のほうに行くと、中野ブロードウエイ。

 
有名な曼荼羅家?のほか、こんなお店がズラリ。
見て回るだけで楽しい。

自転車を使って、高円寺、そして野方へ。

 
西武新宿・野方駅。

 
 で、ここ2、3年評判のやきとん屋、秋元屋へ初めて行く。
5時開店なので 、30分ほど外でウロウロ。

 

 
 カシラとナンコツに生キャベツ、ビール2本に日本酒。
もちろん、うまい。
しかし、3000円ほど使ってしまったぞ。

このお店、とても人気のようで、5時ジャストに地元のサラリーマンらが
どっと押し寄せ、すぐに満席状態。流行っています。

2月から無職になっちまうので、せっかく始めたブログも
「就活日記」になりそう。情けない。


 
 
 
新卒じゃないんだから、かんたんに退職届を出すべきじゃないとかんがえていましたが、
やはり、出すべきタイミングだとおもって提出しました。
やめたことで、言いたいことを言えます。

私が所属していた関係トップに見たり、聞いたり、体験したりしたことを報告しようと思っています。


 
 きのうのつづきです。すみません、ネタがなくて。
写真が余っているんですよ。
ていうか、デジカメ買ったばかりなので、アップしてみたいんですよ。
きのうより、サイズを大きくしてみよ 。


以下、瀬戸内と倉敷の写真が続きます。

 
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 おかしいな、サイズを大きくしたんだけどな。

 
 鳥取の大山(だいせん)にも行ってきました。
頂上が見えません。

 
  
 締めくくりは倉敷の映像です。大原美樹館のとなりにある喫茶店「エル・グレコ」。
私の記憶によると、30年前からあったはずですが、入ったことはありません。


 


年末、故郷の岡山に帰省してきました。
倉敷や瀬戸内を気ままにドライブしてきました。
上は大原美術館です。

   
 瀬田内海の渋川海岸。子供のころに海水浴につれていってもらいました。
昔とくらべると海水がかなりきれいになっています。

   
  
お国自慢になりますが、倉敷は全国的にみてもトップクラスの観光地だと思っています。
大原美術館もレベル高いです。
1930(昭和5)年に、大原孫三郎が創設したもので、
教科書や美術書でおなじみの作品がけっこうあります。
だから、どーなのよっていわれても答えようがありませんが。
行ってみる価値はあります。

その大原美術館を中心に昔ながらの「街」が形成されており、
散歩にうってつけです。
素敵なお土産屋さん、食べ物屋さんがあります。
「星野仙一なんとか館」もありますが、スルーしてもいいですよ。
ここ数年は、帰省のたびに年に1回は訪れています。

美観地区をぶらーり、けっこう楽しいですよ。


 
今回の おまけ。ここは牛窓。フェリーボートが前島だっけ(?)まで就航しています。
牛窓といえば、日本のエーゲ海とも呼ばれています。えっ、知りませんでしたか?
昭和40年代、岡山で一世風靡したラーメンチェーン店「すわき後楽中華そば」のお店を発見。
残念ながら、三が日にて休業でした。残念。

ちなみに東京・新橋に似たようなお店がありますが、かつて「後楽」にほれ込んだご主人が、
独自研究してはじめたとのことです。