あなたは、自分は何なのか考えたことがあるでしょうか。
ほとんどの人は、自分を体だと考えています。或いは、心(思考)だと思っています。
しかし、良く考えてみましょう。
あなたが5歳だった頃、体はまだ小さく、考えていることも今とは全く違いました。
5歳の頃の体は、変化してしまい、今のあなたの体とは全く別物になりました。しかも、ミクロの話になりますが、一つ一つの細胞さえ変化しているのです。
今のあなたは、5歳のあなたとは違う物体なのです。
あなたは、「そんなことないよ。ずっと私は私だ!」と言うことでしょう。
そうです。ずっと「私」という感覚があるはずです。
この「私」という感覚は、意識によって作り出された最初の自我です。
意識とは、最初から永遠に存在しているものです。
意識は、ずっと存在しているのですが、突然その中に世界を作り出します。
しかも、一つの肉体を通したリアルなドラマの世界を作り出すのです。
この時、意識は主人公である肉体の心に「私」という感覚を付帯させます。そうしなければ、ドラマになりませんから。
さて、ほとんどの人は、意識が作り出した「私」がくっついている体を自分だと勘違いしていますが、本当の私、つまり真我は実は意識のほうです。
意識はずっと永遠に存在していますが、これには「私」という感覚はありません。
存在しているのに、感覚は「無」です。
敢えて言うなら「無」が有る。
ぐっすり眠っているとき、「無」ですよね。「私」の感覚もないし、体の感覚もないし、時間も感じません。
でも、意識はそこにありました。
意識がなければ、「私」を実感できないし、体も感じないし、時間も感じないのです。
一番最初にあったもの、つまり意識が本当の私、真我です。そして、その感覚は無です。
真我は、「私」という想いが
絶対にないところに
あるものである。
それは、「沈黙」と
呼ばれている。
「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」
(ナチュラルスピリット出版)
世界にはあなたしかいない↓