読者の皆様へ
もう先、気が付いている皆様も大勢いらっしゃるとは思いますが、再度、念の為、フィフィブログの方向性を今一度ここに述べておきます。ここは、フィフィが一般常識とネット環境上常識とアメーバブログ内で許される範囲内で好き勝手なことをたれ流せる場所です。(許されなければ当然、記事は公開できません、公開出来た時点で許されたと考えています)
なので、フィフィブログはアメーバ範囲内ではあるにしてもフィフィの高慢と偏見(オースティン風味)と妄想に満ちたブログで極めて偏向な内容となっております。一部の方には好まない方向も含まれる可能性があります。批判も批評も甘んじておりますが、御不快と思われた方は先へ進まずに引き返してくださいますよう御願い申し上げ奉ります。
日常が忙しくなり
コメント返しがなかなかできません。
当分の間、コメント欄閉館します。ごめんなさい。
平年よりは二日早く梅雨明けしたフィフィ村。
夏らしい夏であってほしいよ。
あんまり気温が高くないといいなあ。
翻訳と翻刻
同じようなもんだとフィフィが勝手に想像してたら、違ってた。
英語文章→日本語文章
日本語文章(草書体など)→日本語文章(楷書)
翻訳の仕事してる妹とゆっくり話する機会に聞いたのね。
「翻訳って地の文章の言ってることを正確に日本語に訳すことだと思って、今まで仕事してきた。
けど、今回は『日本で出版する際の、本の対象年齢層が分かりやすい文章にあらわす』ことが主題の翻訳だった。」
「だから、元の文章から見ると大胆に改変されているというか、翻訳というよりも、昔、一時言われた超訳っぽいのだと思う。」
な、なるほど~
少しは分かる気がする。
よくネットでフィフィには読めない英文を機械翻訳すると、何言ってるのか理解が難しい場合がある。
そのままに翻訳すると文の構成や言葉の選び方で伝わりにくい内容になってしまう。
處で翻刻はね、そういうの一切、斟酌しない。
地の文章のままに楷書に書き起こすだけ、
時には時の文章の明らかな間違いも、そのままに書き起こす。
流石にフィフィが間違ったのではなく、「地の文章が間違っているのだよ」と言う注意喚起の為、振り仮名で(ママ)・・・つまり(原文のままに翻刻したのであって、翻刻者が間違えたのではありません)って注釈を入れて置く。
なので、そういう意味では機械翻訳と同じだよ。
で、翻刻は確かに原文のままで、それはそれでよいけど
大抵の場合、古文書の素養がないと「何言ってるのか、半分くらいしか分かんない」ってなる。
それを解読文とか読み下し文、或いは解説付きの翻刻文にして、漸く一般の方々にも広く読まれる文章になる。
にゃるほど、にゃるほど
一口に翻訳といっても、その翻訳の仕方は色々ある。読む対象層に合わせて変化するもの。
翻刻は翻刻だけじゃなく、解読文、読み下し文と複数の訳仕方がある。
あんまり、この件について意識してなかったけど
今回、妹と翻訳と翻刻の違いについて話していて気付いたよ。