相変わらず回転寿司には
お世話になっている。
回転寿司の自由さに慣れてしまうと
ファミリーレストランの御用聞きすら
もう面倒くさい。
店側の人件費削減策ではあるけれど、
タッチパネルの注文やネコロボットが
料理を運んでくるのも悪くない、と
感じるなんて、
こういうのを貧しい心と呼ぶのだろうか。
ファミレスの御用聞きが無理なのだから、
たまに洒落た和洋食店を訪れると
自分の身だしなみや口紅のカラーや靴のメンテナンスまで
急に心配になってくる。
お店の人たちとの距離感が益々近くなると、
料理の味どころではない。
わたしたち客の会話が途切れるのを
さりげなく察知し
絶妙なタイミングでテーブルを訪れては、
空いたお皿の引き取りをし、グラスが空いていれば
飲みものの注文を取ってくれる。
ときには、節度を持って嫌味なく
自然に会話に入ってくださるので、
うっかり身の上話などを
つらつら話してしまいそうになる瞬間もある。
話してすっきりして帰るような夜もなくはない。
けれども。
すぐにでも立ち去りたいと感じてしまうのだった。
きっと
スシローのせいだ。
わたしは自由を覚えてしまった。
寿司皿に直接醤油をどぶどぶとかけ、
刻み生姜を取り分ける。
お客様それはマナー違反です、というような眼差しで
うすら笑う店員さんなどどこにもいない。
いや、そんな店員さんというよりも
店の看板などない。
なんて楽しいのだろう。
スシロー、というと実感が湧かないので
寿司郎、と書いてみた。
なんとなく罪深い男という感じがしないでもないではないか。
やけくそに食べても財布に優しい