自宅から、
名古屋市及び近郊四方八方の花火を観ることができる。
築20年ほどの賃貸マンションだけど
そのために払っているような家賃である。
そういうわけで夏は忙しい。
今日は港、今日は熱田、日進…
長島はこの時期毎日だ。
大人が手を広げたほどの花火を
ベランダから、廊下から、リビングの窓から観ているとき、
わたしはちいさな孤独になる。
孤独というのは、なろうと思ってなれるものではない。
あああれだったのね、と後から気づく。
それはとても消えそうなのだけど
絶対滅びない炎のようなものだ。
宅急便です〜の声に
一瞬で消えてしまう頼りなさではあるのだけど。
花火を観ると
自然に空が目に入ってくる。
最近の名古屋の空にはほとんど星がない。
花火を観るときに星があると
かえって邪魔なので、
星がなくても構やしないのだけど、
いやこれは、
実は相当まずいのではないか。
星が見えない空の下、
孤独だなんて!
人里へ食べ物を求めて出没する熊の方が
はるかに人間らしくて憎い。
ガツガツいきたいのに
星が足りないせいだ。
花火が綺麗なせいだ。
あなたのせいだ。
天体観測。
料理人は芸術家と等しい。