万事容量超えそうなので

資格試験は来年に持ち越しを決めた。

だとしても、抜かりなく勉強は続けていかなくてはいけない。

まあ高校二年生の受験生みたいなものだ。

 

すっかりXを見なくなったけれど、

待ち時間久々に開けると

短歌研究新人賞発表の文字が流れてきた。

頂点手前の人々の声が眩しい。

それに若い。年齢をいうのではないけれど

フレッシュ。草原の匂い。

どんどん時は流れているなぁ。

 

歳を重ねてみるとわかるのだけど、

審査する側のほうへ年齢だけが寄っていくと、

世代の離れた人々の 作品 を評価するのが

いかに難しいかがわかる。

プロだから年齢は関係ないでしょ、と

簡単に思っていたけれど、

いやいや、そんなことないです。

世代のもつ感覚を、高名な文学者が正しい解釈をするという保証はない。

それは仕事上でもそうで、

平成令和時代の人たちを前に、

綿菓子を持ち上げるように接する癖が出来てしまった。

彼らは傷つきやすいことを

性質のひとつとして品格のように持ち合わせているのだった。

 

すこししか見ていないけれど、

Xで流れてきたもうすこしで新人賞、という作品たちを眺めていると、

水性絵の具のように淡く儚く

遠い幻のようだった。

手を伸ばして触れたら、折れるより何より

手だけががするりと風を起こしただけで

脱力感が増すだけだった。

誰が悪いのではない。

むしろ悪者がいないことがいけない。

それでうっかり

わたしたちは争いを始めてしまうのだろう。

争いとまでいかなくても、

コンプライアンス的なものを

外れてしまうのだろう。

太一くん、大丈夫か。

 

まっすぐ。北海道産蕎麦粉。

 

北海道。

最近揺れすぎてはいないか。