慌ただしくしていると、

草花を愛でる余裕すらないというのは

本当である。

ふと目を上げたとき美しい花に癒されたというのは、

既にある程度一段落ついたときだ。

心を失うと書いて忙(しい)と読ませたのは誰だろう。

あなたは大喜利のセンスがあります。

 

心がないのだから、美しい花を見ても

美しい花、としか認識できない2月3月の貧しい日々に、

徳川園に行ってきたという母からラインが届いた。

 

こんなふうに守られていたのはいつだったか。

 

侘び寂びを邪魔する案内掲示板

 

 

徳川園かぁ。

仕事と食事にしか行ったことない。

プロだから実況中継みたいなものはできる。

それによって誰かの心を動かすこともできるだろう。

でもいつも他人事で、

意地でも心を動かされないぞという

不思議な頑固さのままである。

徳川園はこれくらい枯れているほうがいい。

これはまったく商業的にはふさわしくない心情である。

 

 

甘いものつまんだあとの椿かな    漕戸もり