毎年七段飾りを組み立てていた父が亡くなり、

いや、それ以前、子どもたちが独立する頃には

B'zのコンサートでも開くのかっていうくらい

七段のための大袈裟な鉄板や釘などは、

いつのまにか廃棄していたから、

もう来客のめっきり減った床の間の、

高価らしいけれど今更貰い手もないような

檜の年輪テーブルに毛氈を引き詰め、

父と母、やがて母ひとりが

2月中にひな人形を並べる慣習になっていた。

今年はいよいよ母も出さないというので

兄弟で出してみた。

出すだけでも相当な労力がいる。

お飾りのぼんぼりや屏風、三宝、高坏、菱台、桜橘、お嫁入り道具

お駕籠、重箱、御所車等々…

近年母もそうだったのだろう。

丁寧に薄紙に包まれた雛道具はきちんとと箱に入れられ、

箱に貼り付けてあるサージカルテープが黄ばみ、

随分と年季が入っていた。

とても道具まで飾る気力が湧いてこない。

父母、或いは母の

毎年毎年お雛様を飾っていた心をおもうと

じんわり胸が温まる。

 

老いるというのは、なぜかもの哀しい。

〜仕舞い、とよくいうけれど

そこには諦めやせつなさがどうしても漂ってしまう。

2025年春。

母はお雛様仕舞いをした。

感謝と共に、しっかりと覚えておこうとおもう。

 

綺麗なお顔のお雛様。いつもありがとう。

 

足もとを崩してもいい雛祭り  漕戸もり