某日。

遠征先にバーベキュー用の大きなグリルがあったので、

ステーキ肉や新鮮な海鮮を買い込んで打ち上げた。

家庭のコンロでちまちまと焼くのとはわけが違う。

電気とはいえ、蓋を閉めて待っていると300度近く

(正確にはもっと高温だったかも)になる。

サーロインの油も一瞬でとろけていい感じだし

海老の身にはしっとり熱が入り、頭から尾までバリバリとかぶりつける。

サザエの汁もさっと煮えるから、くつくつといっているはなから

竹串でそっと引っ張り出しほくほくを味わうのだ。

そのくせ無煙なのだから、

なんでもかんでも焼きたくなるのが心情というもの。

翌朝は、グリルを中温に保ち

アルプスの少女のごとく、フランスパンを長いままグリルに放りこみ、

別に溶かしたチーズを拭って食べる。

食材を焼くというのは実に楽しい。

 

誰でもできるというのがいい。

 

と、おもうでしょう。

 

数時間もすると、ここでもやはり

焼き奉行という称号を与えられる人物が現れるのだった。

ふと、昔頻繁に通っていた新栄のMという焼き鳥屋さんにいた

中村さんの焼きと塩加減が絶品だったことをおもいだした。

レバーやタン、鶏皮の他、長芋やししとうに至るまで

誤魔化しが効かない素材だからこそ、

グルメではないわたしですらそれがわかる。

焼き場に中村さんの姿が見えるとひと安心したものである。

 

焼きまくる、とタイトルにつけたけれど、

焼いてもらいまくる、というほうがふさわしい一夜。

こういう日があるからまた頑張れるというもの。

利息みたいなものです。

 

焼かれる前も美しい。ありがとう。