仕事のあとの食事は、
間違いなく全カロリーが体中に吸い込まれてゆくのがわかる。
お米一粒麦秋一滴残さず、すいすいと染み込むので、
カロリーというと敵みたいにおもうけれど、
染み入るごとに、日頃わたしたちが『力』と呼んでいるような
重さみたいなものが体の底のほうから湧いてきて、
生きとる(名古屋弁:生きている)という感じがするのだった。
以前勤務していたラジオ局に、
某大御所女性演歌歌手が新曲のキャンペーンでやってきた。
ラジオだから、みなさまわりとナチュラルな出立ちでいらっしゃるのは
珍しくないけれど、その日の某大御所は
眉毛のないすっぴんのうえ、今でいうフリース素材のパジャマに
コート?を羽織ったような姿で現れた。
それは普通のおばさんを通り越し、
普通のおばさんでもあまりひと様に見せない抜け感で、
喩えれば出涸らしのぬるい緑茶のようだった。
今でも演歌の祭典(イメージ)などで、着物を纏い厚めのメイクで
素晴らしい歌を披露してくれる姿を見かけるたび
彼女の精神の緩急についてつい考える。
まあ、そこまで緩急が激しいとは言わないけれど、
わたしの日々もまあまあである。
そのアップダウンに耐えられなくなったときが
引退なのだろう。
その間を埋めるようにかきこむ天津飯。
まるごと蓄えて明日の緩急に立ち向かおうではないか。
生まれつきアミラーゼ分泌量が多いので
食べるはなからとろみ成分はすぐにサラサラになる
