急所は自由に選べる女(一応)である。

※生まれついた体における生物的な男女差としての見解

 

別に、息の根を止めるための急所を指しているのではない。

命を断つという話なら、それこそ喉や心臓等

どこもかしこも急所のような頼りない人間である。

男性に生まれたことがないが、これまで出会った男性の、

父から(ふたりの祖父はわたしが生まれたときもう亡くなっていた)

友人の昨日生まれた男の赤ちゃんまで、

男の急所はひとつと決められている。

ここで、いや僕の急所は心だ、とか、魂だ、とか言わないで欲しい。

概念でものを言い始めたら、まとまる考えもまとまらなくなる。

 

そこで。

われわれ遺伝子としての女性の『急所』である。

成長期には、膨らみかけた乳房だった。

ドッチボールをしてボールを受け損なうと、

言いようのない激痛が脳天を貫いたものだ。

でも、それも思春期を過ぎ、ましてや子を産み育めば、

乳房は発火しないしけた火薬瓶のように、胸を冷やしているだけである。

心や魂または特別な疾病を除けば、女の性に急所は見当たらない。

先に、急所は選べると書いたけれど、

逆にいえばすべてが急所であるが故に、

すこしくらいゆるしてくれたっていいでしょ、

というのが態度にあらわれてしまうのは、致しかたなくはないか。

全身急所だと想像して欲しい。

それはファンタジーではない。

いや、ファンタジーだとおもっておいてもらうくらいが、

ちょうどいいのかもしれない。