息抜きがうまい人が

よっしゃー、明日から頑張るぞぉー、と

気持ちを切り替える場面にでくわした。

え、ちょっと待って。

さっきまであんなに落ち込んでいたのに、急に前向きになってもらうと、

数時間も話を聞いていたわたしのほうは、まるで深い闇に残されたまま、

なんだかずるいよ、という気分になる。

立ち直ってくれるのは嬉しいのだけど、手放しで喜べない。

 

こんなふうに。

話を聞いてもらうでもいいし、飲食、カラオケ、スポーツ、旅行、

美容院に行って髪を切ったり、マッサージに行くのでもいい。

立ち直る方法は千差万別だとして、

今お尋ねしたいのは、気持ちの切り替え方のほうである。

どの瞬間に、こんなことしてる場合じゃない、或いは、

はぁスッキリした!前を向くぞ!、と垂れていた頭をあげられるのだろう。

その境界がわからない。

発散完了のお知らせボタンがウルトラマンのように胸元についていて、

時間になったら教えてくれればいいのにとおもう。

 

随分前、カナダでナイアガラの滝を目の前で見たとき、

なんて小さい日々の自分なのだろう、とは感じつつ

だからといって、ナイアガラ体験後の人生に

影響を受けたということはなかった。

多くの友人たちから、

ピラミッドやガンジス川を見て人生観が変わった、と聞いていたから、

わたしはどんなふうに変わってしまうのか、とわくわくしていたけれど、

なにひとつ変わらない心情に、自分が欠陥商品であるような気がしたものだ。

きっとそのときも『境界』が今ひとつわからなかったのだろう。

 

人生は地続きである。

そこに、空があり地があり水があり火があり

どれを眺めても今ひとつぱっとしないときこそ、

詩があり歌や句があるのだろう。

いや失礼、悪い冗談です。

 

 

美しい瓶たち