昨年、いつに間にかベランダの隅に干されていた渋柿。
すこしずつ萎んで干柿っぽくなってきた。
先日。
サイズが小さくなったせいで、そのうちのひとつが
縛ってあった紐から抜け落ちていた。
毎年義母が作っていた干柿は、粉が吹いていて
もっと縮んでいたようにおもったけれど、
どれおためしに、とナイフで切りわけて食べてみた。
甘っ。
熟し過ぎた柿の味わいなのに、食感も見た目もどろどろではなく
色鮮やかな橙のプリンみたい。
でも干柿と呼ぶには、まだ冷たい風に当てたほうがよさそうである。
寒暖差も必要だろう。
そういえば義母の干柿は弾力があり、噛みちぎって食べていたものだ。
噛みちぎれないものは電子レンジで温めた。
そして極上の甘みだった。
ずいぶんと前のような物言いになってしまったが、
つい一昨年は、まだ義母の干柿を食べていたのだ。
息子である家人は柿自体を好まないので、ひとつも食べたことがなかったから、
実家の柿の木から柿を捥ぎ、干柿作りに挑戦するなんて
想像もしなかった。
先の柿を試食したときも「もう少しだ」などと悦にいっていた。
どの口がいうか。
こういうことは今後増えてゆくのだろう。
もちろんわたしにも、あなたにも。
そうやって暮れてゆくのを黄昏と呼ぶのだろう。
前髪の分け目を変へる小正月 漕戸もり
子どもの頃、1月15日は小正月ではあるが成人の日で祝日だった。
この辺りでやっとお正月気分が薄れ
ああまた面倒な毎日が始まるなあ、と餅を齧っていたものだ。
それが今ではどうだ。
今年が始まってまだ15日足らずなのに
節分やバレンタインデーの広告に煽られ
既に息絶え絶えである。