知人のお悔やみがあった。
正確には知人の子の。
通夜が午後6時というが、別件で所要があり数時間前に葬儀場の前を通ると
高校生の子どもたち、少なくとも100人が既に集まっている。
近くにいた関係者に聞くと
彼の所属していた高校の運動部の部員だけで100人以上。
保護者、教員、又高校以前の友人や関係者、ご家族の関係者も含めると
数百人の参列予定という。
帰宅して、通夜へ出掛ける準備をしている家人に報告。
力をどこに込めていたらいいのかわからない、
目の前のことをとりあえずやりましょうという、
わたしたちはただそれだけだった。
突然の逝去。
しかも順番が違うではないか。
なにもわからないということから
わからないといけない大人の分別とは、
こんなとき残酷でしかない。
今日から新学期の学校も多いだろう。
期待をされていた部活動からも
仲の良い友人からも
家族からでさえ
またはじまる新しい年を目前に
消えたいと思い詰めたのだろうか。
ある。
そういうとき、ある。
贅沢な悩みだとか、甘えていると言われてしまうかもしれないけれど、
そういうときに
ゆっくり休もうと言ってくれるようなひとがいなかったのか、
或いは、ゆっくり休もうという声を聞きとる力すら
もう残っていなかったのか。
正月休みが終わる。
こんなかなしい終わりかたってない。
遅くなったのでむなしへ。参列者の高校生たちもいた。
沈みなさいとは言わないがせめて歯をみせて笑うな。
空しさをゆづり葉二枚感じ合ふ 漕戸もり
