早朝3時ごろか、ふとYahoo!を覗くと詩人の訃報があった。
もともと存在するかどうかもわからない既に神さまだったので、
ほんとうに手の届かないところへ行ってしまわれたのだなと
平らかな気持ちで浅い眠りにまたついたのだった。
今日のXは一日詩人の話題であふれていた。
その中には、会ったばかりだった、というのと
会う予定があった、もたくさんたくさんたくさんあって驚く。
詩人伊藤比呂美氏や作家高橋源一郎氏との交流、歌人木下龍也氏との面会シーンは
テレビでも放映されたから知っていたけれど、
有名無名問わず、お会いした或いはお会いする予定がこんなにもあったとしたら、
詩人は正真正銘の神さまだったというしかない。
そんな詩人とこれから会う機会も会った機会もなかったけれど、
私は佐野洋子さんの書籍から垣間見えた、詩人の人間らしい佇まいが好きだった。
 
詩人との出会いは、本好きの母が買い貯めていたペーパーバックの「ピーナッツ」。
翻訳をされていたことを知ったのもかなり後のことになる。
やがて詩人の(ことば)を国語の教科書でみかけるたび
顔も見たくない存在になっていった。
作者の気持ちを30字以内でまとめよ、と問われると
校庭に残されたサッカーボールを眺めながら、そんなの知るかと不貞腐れていたものだ。
それからの作家佐野洋子さんである。
童話はさることながらエッセイでは群を抜いて好きな作家のひとり。
詩人と家族になって家族ではなくなってというその機微は、
私にもわかりやすい文体と視点によって、
くだんの詩人は国語の教科書からようやく抜け出し、
わたしのもとへ戻ってきてくれたのだった。
思えばピーナッツから相当長い道のりだった。
 
 
 
さよならは仮のことば
思い出よりも記憶よりも深く
ぼくらをむすんでいるものがある
それを探さなくてもいい信じさえすれば
〜谷川俊太郎 さよならは仮のことば 少年12  より引用
 
 
信じさえすれば。
戻ってきてくれてありがとうございました。
間に合ってよかった。
佐野洋子さんにも今更ながら感謝だな。
 
 
 
幸福な人生
 
 
 
 

冬眠の匂ひウエハースのにほひ    漕戸もり