何日かかけて

第六十八集中部日本歌集のご紹介を兼ねて十作品を引かせていただいた。

歌人総勢212名の全1484首には、ほかにも気になる歌があるので

あとの秀歌は手に取っていただきご覧ください。

ご縁があれば会えるものですから、人も歌も。

 

本日は番外編として、自作を引いてみる。

 

 

岸づたいにゆけばさはれる海までにあなたの夢や夏生まれ知る

漕戸もり 連作 窓ぎは より引用「第六十八集中部日本歌集」収録

 

断捨離として学生時代の古いアルバムを整理していた。

母子手帳まで捨ててスッキリした、という友人に感化されたのだ。

家族写真はひとまずおいておくとして、まずは学生時代のものから片づけ始めた。

案外残しておきたいものは少ない。

アルバム丸ごと処分したものもあった。

けれど、恋にまつわる写真はどれも捨てるまでに時間がかかる。

はじめて交換日記をしていたひととふざけて撮った写真

体育祭で手を繋げずにボーイフレンドのジャージの裾を握って撮った写真

たくさんの仲間のなかでふたりが花火を振り回している写真

写真ではないけれど、

バンドをやっていたひとからもらった熱烈な曲の入ったカセットテープ

暗号だらけの手紙(解析できないまま)

もちろん失恋も片想いもあったので、

今読むと爆笑するしかない自作の詩作ノート

交際と呼べないほどの淡い恋でも、

わたしの人格形成に影響を与えた濃厚な感情の日々だった。

 

連作 窓ぎは は、そんなときに詠んだ。

あるひとつの場面だ。

岸づたい、海、なんのことはない名古屋市民お馴染みの知多半島である。

デニーズはラーメン屋、ポーチドエッグは餃子、

トロピカーナはおーいお茶だったかもしれない。

侵略という名の争いごとは昔からあったのも思い出す。

はじめてそのひとに会いに行ったとき、

こんな田舎の海沿いに大学があり、そのうえ住んでいて、

毎日退屈ではないのかと心配したものだ。

アパートから歩いて海に行けるというので、ふたり並んで歩きはじめた。

いつでも行けるから、という理由で滅多に海には行かないらしく

逆に新鮮に感じたのか、海までの距離に将来の夢や、

夏の生まれだから永遠に夏でいいとおもっていることなどを

饒舌に話すひとの横顔を見ていた。

あれからすこしのあいだだけ、

わたしは彼の彼女となったのだった。

岸づたいが最高潮で、それからは冷えてゆくだけの短い恋だったけれど、

あの日を歌に残せてよかった。

これで心おきなく写真を捨てられる。

さて。

まだまだ断捨離は途中です。

 

 

田中委員長他委員の皆様へ感謝