天気の本を前にして早速ハードルの高さを感じている。
すでに負け感満載でしょげているところ。
だとしても。
これもなにかのご縁だしもうすこし粘ってみようと、
じぶんがその気になるような(要するにじぶんを騙せるような)…
書物以外にも…望みを託すつもりで、
雲研究者の荒木健太郎氏が気象監修をされた
映画「天気の子」を観た。
新海誠監督の2019年の話題作。
日本のアニメーション映画は、どうしても声優の高音質が耳に硬いので
ほとんど観ていない。せいぜい青山剛昌氏が好きで名探偵コナンの映画
を観るくらいだから、アニメ天国の日本にいてなんだか肩身が狭い。
どうして海外のアニメーション(トイストーリーなども含め)のように
「ふつう」の声を充てないのだろう。
近ごろは声優ではなく俳優を使うことも多いけれど、
そういうときの俳優は、うっかり声優を演じてしまうのか
おそらくどこかつくりものめくのだった。
失礼。
今日は作品として「天気の子」をみていきます。
宇宙と太陽と空と雨と雲と魚と日常と感情は、
輪のように繋がっているって、頭ではわかっていたけれど
こんなにガチッと影響しあっているということと、
繋がっているのだけど、感情のところでは
心の角度によって影響を避けられるという可能性の両面を、
説教くさくなく心に残してくれる映画でした。
なによりも、最近空を見ていなかったと気づく。
いやたぶん、詩歌作をしているのでよく見るほうだとおもうんです。
それにわりと高層階に住んでいるし。
でも、空の「本心」まではわかっていなかった。
人類史で切り取れば今は異常気象だけど、
紀元前から存在する気象の気持ちになれば
そりゃあなたいろいろありますよ、新参者のあなたにはわからないでしょうが
などと言いたくなるだろう。
あれからずっと空が気になって困る。
ハードル、あがりっぱなしなのですが。
豆苗。これも「天気の子」繋がりで久しぶりに購入。
最後まで透きとほらない髪を持つふたりの夢に舟を買ふこと
漕戸もり
今日も中部日本歌集を読んでいきましょう。
それは多分涙雨だよ大空も年を重ねてこらえ切れざり
小塩卓哉 連作 アラートがまた より引用「第六十八集中部日本歌集」収録
涙雨を辞書で引くと…
①悲しみの涙が化して降ったと思われる雨。
悲しい思いのときに降る雨。
②ほんのり少し降る雨。
とある。
この歌の結句から推測すると①の解釈か。
ところが年を重ねてこらえ切れない悲しさとはなんだろう、と考えると
最近はすっかり天気にかぶれているせいで、やはり②が妥当かともおもうのだ。
大人になるにつれ、感情とは別の次元でどうも涙腺が弱くなっている。
先日も、地下鉄で席を譲りありがとうと言われて涙。
肉豆腐がうまく炊けて涙。灯油販売の巡回トラックの気配がして涙。
お風呂のお湯がちょうどいい温度で涙…。
涙涙の秋の1日を過ごしたばかりである。
そういえば、こういう涙もこらえられるものではない。
我慢するしない以前に、気づいたら涙が垂れているような無防備さに
ふと年齢を実感したりするものだ。
涙雨。
詩歌ならではの美しい言葉。
日常生活に使わなくなって久しい。
こういう言葉をさらりと言えるような年の重ねかたをしたいものだと、
内省を込めてしみじみおもいます。
