味醂は飲める。
そうでしょう焼酎が主原料なんだから、とごくごく飲むひとは
一体どれくらいいるだろう。
戦中戦後は、大豪邸のお手伝いさんがご主人に隠れて
酒の代わりにこっそり味醂を飲んでいたものだ、という話しを聞いたことがあるが、
それはふるい時代のことで、今飲料として考えると
味醂は実に気味の悪い液体で、どこに料理の深みを増す技を潜んでいるのか、
見当もつかないぼんやりと不味い酒なのだ。
以前、お屠蘇を飲んで吐き出したことがある。
本味醂から作られた本格的なお屠蘇だったが、
今でも思い出すと生唾が湧き出てくるくらい
なんともいえない味わいだった。
先日、某バーで味醂のカクテルなるものを見た。
当然そんなものを頼むのは、わたし以外の人なのだけど、
その人は、わぁおいしい♡と目をキラキラさせていた。
バーテンダー氏がいうには、米麹もち米焼酎の品質がよければ
味醂は飲めるのです、と言って平然としている。
ほんとかね。
早速我が家の味醂を確認すると、不味いお屠蘇の原体験があるのか、
知らず知らずのうちに、結構お高い良さげな味醂を買っていた。
少ししか使わないからそんなに減らないし、
コスパを考えると悪くない。
で、飲めますよと言われても…。
飲めません。
はっきりしない主張のなさが、どうもだめなのだとおもう。
甘味に関しても、酒という概念からしても、
どちらでもないしどちらかであるという
優柔不断さにもほどがある。
それなのに、煮物や照りをつけたいときなどは、
なくてはならない活躍をするので、
ないわけにはいかないというのも腹立たしい。
なんだあなたは。
恋人というより嫁さん向きですね、わたし好きです、とバーテンダー氏に言われて
目を潤ませているキラキラ味醂カクテル女子の傍で、
いいのかそれで、と勝手にしらけている私なのだった。
きぶくれて逆方向へ紅い爪 漕戸もり
今日も中部日本歌集を読んでいきましょう。
前世紀は遠つ淡海のほとりにて村木道彦とひと夜さを飲みき
島田修三 連作 やがて歳晩 より引用「第六十八集中部日本歌集」収録
村木道彦、出ました。
わたしはひらがなが大好きで、なぜなら
歌人の端くれのくせに申し訳ないのだが、
難しい漢字がわからないし
それゆえ、難解漢字の意味合い、といわれてもまったく響いてこないし
いってみれば、低脳でいちいち調べる時間さえ
もうぜんぜんない電池切れ寸前のていたらくで
そんな時間があればお酒でも飲んで調子よく
あれこれやっていたい人種なので、
だから。
ひらがなのやさしさに気づいてしまったのです。
その責任は村木道彦氏にあるのですよ。
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら
みずいろのゼリーがあれば 皿のうえにきままきまぐれのみつるゆうがた
〜村木道彦歌集より引用
今年3月に逝去されていたことを失念していて、
ほんとうに恥ずかしい。
ごめんなさい。
それに。
かなしい。
前置きが長くなりました。
自分勝手に名乗っている恩師、島田修三さんの歌。
泣けてくる。
なんだろう、この心情は。
前世紀はってなんだ。
全盛期と掛詞になっているのだとしたら
これはヤバいやつです。
号泣ものです。
湖を淡海っていうなんて、ずるいです。
村木道彦氏ゆえ、すごく合う。
歳晩。
冬の季語で、比喩で人生の老年期を意味する言葉。
まだまだ使いこなせないでいますが。
着膨れているような今日、
その声を聞いてしんみりしています。
