連休連勤はありがたいこと。
相変わらず外国人の多い霜月の名古屋です。
さて、タイトルにもあるように読んでいきましょう。
本日も気になった一首を取りあげます。
人生ののびしろがまだあるやうに紹興酒の風味を語つてくれる
杉森多佳子 連作 平和園歳晩 より引用「第六十八集中部日本歌集」収録
平和園でのひとコマが七首で描かれている。
人生ののびしろがまだある、というささやきめいたものは、
若い歌人さんが詠めばありふれたつまらない感傷となるが、
大人の主体が詠むことでせつなく深い味わいを呼ぶ。
紹興酒の説明をしたのは店主の歌人チャーリーさんか。
チャーリーさんがいつもの口調で、
ぼそぼそと丁寧に紹興酒の風味などを語るのを想像すると、
それは人生にはのびしろがあるのだよ、と言っている気がするというのも、
なるほど納得できる。
仮に、この歌人も平和園も知らないひとが読んだとしても、
紹興酒と人生ののびしろは、
読めば読むほど腑に落ちるからよっぽど相性がいいのだろう。
風味、というのもいい。
アルコール度数や味、飲み方だったらどうだろう。
ここまで立ち上がってくるせつなさは表現できない。
杉森さんはこういう言葉のチョイスが優れていて、
尊敬している歌人のひとり。
町中華での賑やかさ油や炎の激しさ、或いは店員さんの威勢の良さのなかで、
そこだけ別の気配が漂う。
静かで礼儀正しく凛として柔らかい。
平和園が舞台だからこそ感じる微風なのだろう。
歌人青山みのりさんと上本彩加さんと3人で、
平和園のその日の紹興酒を飲み尽くしたことがある。
あの日のわたしたちに、チャーリーから酒の説明はなかった。
風味なんて言いだしたら、ケラケラ笑って止まらなくなるのを知っていたのだ。
のびしろがあるように、か。
聞きたいとおもってもなかなか聞けることではない。
紹興酒、ひさしぶりに飲んでみたくなった。
乳房から紅葉となりて着火する 漕戸もり
今年も俳句は結果を出せず。
のびしろがある。大丈夫。