久しぶりに参加できた歌会。
中日短歌会は作品というより、
長く長く歌を詠んできた生(なま)歌人を近くで感じられることが
なによりのメリットである。
帰路、短歌結社水甕の歌人さんとまひる野の歌人さんと一緒になり
歌集出版予定のお話など伺い、驚くやら力をいただくやら
なんだかすこしやる気になっている。
80代70代の歌人の前で、勝てるものなど何も持たない。
あるとしたら可能性?時間?
いろいろ捻り出すけれど、すべて曖昧でたよりない秋風のようである。
ただひたすらにコツコツと前を向いて詠むことを
彼ら彼女らの背中に学ぶ。
腐らず投げ出さず着実に詠む。
これがいちばん難しく、
そのお手本が集うのが中日短歌会なのだった。
 
53の歌が集まった

 
 
 
 
喉仏わたしにはなく金色の梨をわけつつ食めば薄まる
漕戸もり    〜中日短歌会定例第392回歌会詠草より
 
※金色…きんいろ
 
喉仏が英語でAdams apple ということを失念していて
大塚先生から突っ込まれた。
林檎と梨の混在が意味を混濁させてしまう。
確かにそうだ。
喉仏という、不可思議な、なんとも壊れやすく
触れるのが躊躇われるような部位を持つある種の「強烈」の前で
わたし自身の身の置き場が淡くなるような…
そんな感傷を31文字にしてみたらこうなった。
 
がしかし。
次回すこし改稿してみようと思います。