劇団から届いたチラシ。
アマチンさんが逝去されもう一年経ったのか。
通夜では車椅子で、それでも弔問客とお話しされていた奥様の昌さんも今年去られ、
夫婦とは、と考えたものだ。
こういうときよく、追いかけるようになどと言うけれど、
案外言い得ているというか、異例なことではなさそうだと感じるようになった。
いい大人になるとお悔やみの場に行くことも増えるから、やたらこういう情報に詳しくなるというのも
なんだかせつない。
大きな顔で、知ってるもんね!と威張るようなことでもないし、こそこそと言い合うことでもない。
そんなことを言いはじめるのは、先日不幸があってね、というような場面で、
え、そうなの!といちいち驚く人もいない。
 
チラシにはアマチンさんひとりが立っている。
わたしの中ではアマチンさんと昌さんはセットだったから、意外だった。
活動の趣旨や発起人やそのほかにも大人の事情があるのかもしれない。
当然だ。
亡き人の後の(そうそう、11月のKANタービレですら)イベントは、
遺された者の心の落ち着きどころを探す旅だから、それでいいです、正解だとおもう。
遺書でも残さない限り(いや、残したとしても)、故人の心情は想像の範疇でしかない。
それよりも、わたしたちが思いを語り合い、慰め合い、かなしみを共有できれば、
その方がうんと大切だ。
だって、もう少し生きてゆくのだし、軽くなりたいし。
 
わたしが昌さんだったらどうだろう。
いくら活躍していたからといっても、夫ばかりにライトが当たるのは微妙か。
まあ、いいか。
わたしもこの世にいないのならば。
そうだった、故人を偲ぶイベントに故人はどこにもいないのだった。
 
11月のKANタービレだって、チケットが取れない僻みもありますが、
あんな豪華なメンバーを揃えれば、会場に生粋のKANファンをみつけるほうが奇跡。
KANさんが知ったら、困ったものです股、とか言いそう。
でもいいんです。
故人はもういないんですから。
いいんです。
 
昌さんがいないチラシ。 
 
 

吊り橋を渡りきるまで秋半ば

秋祭戦場は今落ち着きぬ

九月尽不器用な自筆の手紙

漕戸もり

 

 

急に冬になりそうな秋。

仕事着以外は実に頓珍漢な格好でいる。

服装というより重ね塗りする塗料のようだ。