手垢まみれの問答ではあるが、こんないい大人になっても
 
1億円あったらどうする
 
を真剣に討論することがある。(特にお酒の席)
みんないい大人なので、口には出さないまでも
「既に1億円どころかもっとあるんだけど、まあいっか」
というような表情で考えているひともいるが、それは想定内。
使い道!自由!あなたにあげる!というような1億円ね、などとちゃんと付け加える
察しのいい仲間もいるから安心していい。
 
30代くらいまで、わたしの幻の1億円の大半は夢につかわれたものだった。
馬主になるとか、シンガポールでエンタメビジネスを始めるとか、タレント養成所を作るだとか、
当時から家や車などの所有欲はなかったことがわかる。
ところがどうだろう。
つい先日、同じ問いかけを受けた際、真っ先に、
預けて利息が手厚い銀行はどこか、投資信託はどうだろうか、金(きん)はどうだ、不動産は、スイスは、ドバイは、などを調べていたのだった。
なんと貧乏くさいことか。
くだんの、
1億円くらい軽くありますよ、というようなシャネルさん(仮名)やベンツさん(仮名)は、そんなことは絶対しない。
基金を設立し地球の砂漠化を阻止する力になりたいとか、恵まれない子どもたちを救いたいとか、もしやもう始めている?というようなことを熱く語りだしたり、アウトドアが趣味なら、島を購入する資金にすると言って目をうっとりさせたりもする。
一律に一文無しだった、要するに子どもの頃の「1億円あったらどうする」と、まだ道半ばとはいえ人生海山超えてきて、もう横一列に並ぶことなどできないわたしたちへの「1億円あったらどうする」は、意味も答えもぜんぜん違うのだった。
だってね。
ニーサやイデコを始めようとしても、命が足りないのだ。
※コロナ禍で路頭に迷ったときFP2級を獲ったのでしみじみおもいます
 
俳句や短歌に逃げこむのは、
人生が長ければ長いほど寂しくないっていう確かさがあるのかもしれない。
こういうことを島田さんにお尋ねできるチャンスが今生にあるのだろうか。
それには、圧倒的に時間が足りない。
全体的に足りないのだった。
 
 
血圧の薬、喉の薬。
 
プール川海池あなたジンを滲みわたらせおもふおぼれる九月
漕戸もり
 
偉い(のかどうか)小説家が、実体験のうえにフィクションがあると言っていた。
小説家の言うことは信じたほうがいい。