短歌の論評がときどきXにあがってくる。
へえ、とか、ほう、とおもうけれど、これこれというものにはなかなか巡りあえない。
これこれというのは、質に於いて良い悪いという意味ではない。
語彙が足りないわたしの心情を、ひたりと言い得ているということに対しての
これ、である。
先日、Xにつらつら流れてきた玩具メーカーのともだちのような名前の歌人さんの、
短歌界の現状についての論評がまさに「これ」であった。
そうそう、これが言いたかったのよありがとう、と胸のつかえが漸くおりて
美味しいお酒が飲めるのだった。
ぼんやりと流れてゆく世界をまとめる場合、どうしても書き手の主観が入る。
主観を軸として賛否が起こるのは仕方がなく、総括のためには必要な痛みともいえる。
嫌われることもあるので多くのひとはやりたくないし、そもそも能力がないと叶わないだろう。
しかし、時に正義の味方のようなスーパーマンが現れて、整理整頓をしてくれるのだ。
そしてそれが滅多に出会わない「これこれ」だったとしたら、こんな清々しいことはない。
嬉しい。
それも玩具メーカーのともだちみたいな名前の歌人さんだったことは、嬉しさに拍車をかける。
いやもしかして、恐ろしい顔をしている厳格な方かもしれない。
だとしても、だ。
文字になって読むじぶんの日頃の気持ち(に似たもの)は、爽快以外なにものでもない。
不眠に眠剤。
便秘に浣腸(失礼)。
老体に恋。
LETS爽快である。
十五夜のうらごゑで呼ぶ人の夫 漕戸もり
※夫…ツマ
月、見えないほうが安心だったりして。
こんな暑苦しい十五夜をわかりやすく教えてください。