靴に関しては格別な思いがある。
ハイヒールはすっかり仕事専用になってしまったが、コンバースやミュールも含め
なかなかピッタリな一足に出会えない。
外反母趾や内反母趾を抱えていることもあるし、サイズだけでなくデザインや色などもこだわり出したらキリがない。
それならばと、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、木靴から作ったことがある。
素材や色をとことん吟味しサイズも甲の高さ幅の広さまでミリ以下の単位で制作してもらった。
これが最も足に合わなかっただなんて、誰が信じてくれるのだろう。
靴は人生で極めて奥の深い感情みたいなものだった。
先日。
家人の関わっている少年野球のとある子どもの話を聞いた。
練習試合中、小学低学年の少年が突然泣きだした。
慌てて駆けつけると、足が痛くて走れないと言う。
彼の足元を見ると、足が靴を突き破ろうとしているのがわかるほどはち切れそうになっている。
20センチの野球靴へ23センチの足がぎゅうぎゅうに詰め込まれ
靴の上からでも足の悲鳴が聞こえるようだ。
大人が、これは一大事だいじょうぶかと声を掛けるうち、少年はわんわんと泣き出してしまった、
事情を聞くと、両親の関係が思わしくなく家計も逼迫しているのを子ども心に感じており、
新しい靴を買って欲しいと言えないとのことだった。
すぐに野球チームの代表が少年の保護者にその旨を伝えたそうなので、
今は新しい靴を履き活躍しているそう。
だからこうして靴の話ができた。
成長がこんなにひとを苦しめるなんて。
会ったこともない少年だけど、見ず知らずのおじちゃん(無論わたしです)が心を痛め、
そして靴の話をしみじみとしている。
それに、遠くから応援している。
繋がっているんだとおもう。
事情が重すぎるから、顛末をこれ以上語ることは難しい。
だけど、ピッタリな靴がいまだに見つからず、路頭に迷っているようなわたしは、
少年と共にまだ人生の半ばにいるのだ。
白靴や原つぱへ脱ぎ捨てて明日 漕戸もり
