タイプシリーズ第二弾。
原作が先にある映画の場合、動画自体観る観ないは別としても読んでおきたいほうだ。
映画やドラマが話題になってから読み漁ったシリーズもあるし、知った作家もたくさんある。
近くは池井戸潤、遠くは小松左京、松本清張、横溝正史などの作品もそんなふうに出会った。
なんなら川端康成や堀辰雄も、大人に連れられて行った三浦友和山口百恵主演の、
今でいうアイドル映画で知ってから読んだので、今だにわたしのなかのかおるや節子は山口百恵、川島や結城は三浦友和なのだった。
作品世界を自由自在に遊べないきらいはあるかもしれないが、これはわたしにとって大変好都合に転んだ。
毎日嘔吐しているような虚弱体質の子ども時代、読書でしか生きる意味を見出せない本の虫だったが、それでも文芸作品は敷居が高かった。
文庫は今より紙質が悪く文字が薄く小さく細かく、難しい漢字にルビさえ振られることなく、手を出せば向こうから拒絶される気配を感じてしまう。子どもながらに本能で、本にまでNOを突きつけられたらわたしは死ぬのだろう、という恐怖心もあったのだとおもう。
それがどうだ。
主人公がよくテレビで観るあのひとだ。
あのひとの姿、あのひとの声、あのひとの心。
それを思い浮かべて読む作品がすいすいと体に馴染んでいくのを覚えると、気づいたときにはカドカワ映画(角川春樹事務所)の生贄になっていたというわけ。
魂を持っていかれたおかげで文豪アレルギーがまったくない。
なんだか文豪のみなさまには申し訳ないけれど。
地面師たち
当然だけど読みます。
二重カバーの表紙には、綾野剛 豊川悦司らの顔があり、もうこれは最初から
あのひとたちのすべてなのだった。
観られないぶん、わたしの綾野剛が豊川悦司が小池栄子が勝手に動き語り汗をかく。
もう楽しいでしかないでしょう。
作家が新庄耕という方だというのも、何度みても覚えられない劣悪な読者である。
でも。
はまってしまえば、新庄作品は確実に書棚に増えてゆく。
本の売れない時代にカドカワ作戦の復活である。
わたしはわたしの魂を喜んで差し伸べよう。
こいつら全員 土地狂ってる ※土地…トチ(ルビあり)
こういうセンスもカドカワからしっかりと引き継いでいる。
いいよいいよ、なんでも許してしまいます。
腰低く触れるせとものほんとうのほんもののうちがはにほほづき
漕戸もり
週末はせともの祭。
あなただけのほんとうのほんものをみつけてください。
絵付けの鬼灯。
暑くても秋です。
