亡き歌人岡井隆さんが色濃く残る神楽岡歌会。
実はわたしが通う東桜歌会ともうひとつ淀川歌会(新淀川歌会)も似た経路を辿る歌会で、
参加歌人によって、兄弟だったり、従兄弟だったり、会ったこともない伯父伯母だったりと、
赤ほど濃くはないけれど、みずいろくらいの糸で結ばれているような印象がある。
わたしはというと、遠い親戚くらいの感覚で、名前も年齢も性別さえも定かではないけど、
東桜歌会で岡井隆さんの話が出ると、ぼんやり思いだす歌会ではある。
と述べると、高尚な文学サークルのような気配が漂うかもしれないが、亡き今でも岡井隆さんの存在は至って軽やかでユーモアがありやんちゃで少年で、なんといっても歌人だ。
おそらくこれは神楽岡でも淀川でも同じなのだろうとおもうと、自分勝手に嬉しくなってしまうのだった。
神楽岡歌会の100回記念誌を読むと、同じなのだろうという空想から「どうやらそうらしい」という確信に変わる。
シンプルな佇まいのページをひとたび捲ると、歌会の歴史途上にある歌人らの競作はもとより、
軽いエッセイや回想や対談まで、赤の他人事では済まされない既視感が一気にあふれ出す。
岡井さんの気配がそこここから伝わってくるのもいい。
人とぶつかって、その人の顔を見ながら声を聴きながらじゃなきゃその歌の本当の意味はわからないって思っちゃうんだな。 〜神楽岡歌会100回記念誌 P10 岡井隆さんのことば
岡井さんの歌ってやっぱりとにかく全部が比喩なのね。だからわかりにくい歌もけっこうある。
でも、この歌は鮮やかでいい歌だと思うし票もたくさん入っていた。
〜神楽岡歌会100回記念誌 P92 河野美砂子さんのことば
岡井さんの歌ってやっぱり動詞が絶妙なんだよね。(略)意味はよくわからないんだけど、
不思議に魅力ある歌ですよね。
〜神楽岡歌会100回記念誌 P93 吉川宏志さんのことば
(略)岡井さんの影響が一番大きいでしょうね。岡井さんのエロスとか重層性を引き継ごうとしている。
〜神楽岡歌会100回記念誌 P98 吉川宏志さんのことば
岡井さんは票の入れ方にしてもそうよね。皆が入れないような歌に入れる。でもそれってわかるときあるな。皆がひとつの方向に行くと自分はあえて逆の方向に行きたくなるときってある。
〜神楽岡歌会100回記念誌 P112 河野美砂子さんの寿
前後の会話は極力省いているので、なんのことをお話しされているのかわかりにくいとしても、
影というより光のように岡井隆が降っているのがおわかりとおもう。
100回記念誌。
いい冊子だった。
やばいな。
そういえば、東桜歌会は今何回目くらいなのだろう。
岡井隆さんのいつもの筆跡
揺れながら海を結んでゐる糸に更地のやうな鰈がかかる
漕戸もり
親戚の叔母さんの鰈の煮付けはうまい。
そういうものだと決まっている。
