時間がなくて、セルフタイプの讃岐うどん屋さんに入った。

入店して食べ終わるまでに約40分。

素晴らしいコストパフォーマンスである。

嫌いじゃない。むしろ好きだったりする。

でもなんだか、居酒屋で何時間もくだを巻いているよりずっとずっと疲労するのだった。

 

満たすためだけの食事はひたすらせわしない。

店側もそれは同じで、お互い声に出して言い合うわけではないけれど、店内に 早く早く という空気の流れが止まることはない。

お年を召したお客様が注文に手間取っていたとしても、知らない別のお客様が守備良く手助けをしたりして(この親切もものすごく手早い)、全体的な 早く早く の空気感が壊れないようになっている。

特に、一連の流れ作業ののちお勘定を終え、トレイのうどんへ刻みネギや生姜を乗せる一角には、独特の緊張感が漂う。

早く早く が極まると、人びとは、とりあえず大は小を兼ねるという思考になるらしく、ネギも生姜も胡麻(胡麻はこの一角において最も鬼門であり、自らごりごりとすらなければならない)も大量に投入するので、テーブルに到着すると絶望的な顔をしていることが多い。

うどんの上にのせた山盛りの生姜を脇に寄せ、卓に備えつけてある七味唐辛子を振りかけるとき、先ほどの浅ましさは、早く早く の責任であってわたしは関係ないんですよ、と言い訳をしているような後ろ姿になっているはずだ。

 

お腹を満たし次の現場にゆく途中、ちょっくら休憩したくなるのはこういう理由。

節約できた時間はこうして消えてゆくのだった。

 

 

ころうどん。鶏天とかき揚げはテッパン

 

 

 

手仕事を終へて無花果ほど沈む  漕戸もり

 

熱帯雨林かと思うような豪雨。

雨宿りのつもりが避難だった。

こんなふうにして情緒が壊れてゆくのか。