バンテリンドームで貸切イベント。
ライブスクリーンもアナウンスも送球速度の掲示も実現。
選手はプロではない一般の、どちらかといえば立派でお堅い職種のみなさまなのに、大舞台である人工芝のグランドやスクリーンでの珍プレー好プレーを観ていると、プロとなんら変わらない風景になる。
5都市対抗戦で5回までの試合を5試合。
ライバルといえども転勤?やら大学の先輩後輩やらでみなさまどこか繋がっているから、観覧者はどちらのチームも同じように応援をしていたのが温かい。
決勝戦では接戦を繰り広げるナイスゲームで、結果は同点。
結局、決勝対戦チームの選手同士が順にじゃんけんをして、先に5人勝ったほうが優勝ということに。
野球だけじゃなくじゃんけんの強いほうが勝つというのも、仕組んだかと思うようなやさしさだった。
仕事以外で熱中するのもがある大人はかっこいい。
惚れ惚れと観ていると、急に短歌俳句熱が高まってきた。
かっこいいからほど遠い制作活動だけど、それに、味方も敵もいないどうしようもない孤独の中にいるけれど(ここ、昨今のSNS短歌界隈の最重要課題)、昨日より今日ですよ。
夏バテしている場合じゃないって。
相変わらず反転写真。それも味である。
バンテリンドームと云へばシーソーの傾くはうへひろがる泉
漕戸もり
こう、なんというか、名称って難しいです。
恋人とよく待ち合わせをした思い出の歩道橋が、病院の名前になっていたりすると、自分であるのに自分ではないような、無能な広告マンのようなきもちになって、夏の暑さの前で泣きたくなってしまうのです。
歩道橋になまへをつけてうちがはにひかりを置いてゆく銀河系
漕戸もり #文化のみち二葉館短歌 投稿作品より
名古屋市の名物となりつつある名前のついた歩道橋の数々。
かつて白い町と呼ばれていたように、名古屋には銀河だと思える気配がある。
それは、広い道路やトヨタ車や街路樹や風や鳥が、もう十分な大人なのにどこか成熟していない心を持っているように見えるからだ。
その未成熟なひとつとして、名前のついた歩道橋がある。
名古屋にお越しの際は是非探してみてください。
