先日、マンションのエレベーターホールを降りると、花火のあがる音が聴こえてきたので、音のする方へ目を移すと、西の空にバスケットボールくらいの円がぽんぽんと打ち上げられていた。
すこし遅れて音が聴こえてくる。
豊田市の方角だ。
相変わらず風のない蒸し暑い夜で、花火は完璧な弧を保ちながらつぎつぎと空に放たれていた。
名古屋の中心にいてそれがわかるのだから、きっと近くにいたら素晴らしいショーが観られたに違いない。
以前、矢田川沿いに毎年花火大会が開催されていた。
お弁当を持ち寄ったり、花火ともだちができて、車を置かせていただくようになったり…、凡そ10年ほど通ったか。
この美しい慣習は、ライフワークのようにつづくものだと疑わなかった。
ところが、この永遠は不意に途絶える。
確か明石だったか、花火大会へ詰めかけたひとたちの混雑による死傷者が出た事故の影響で、暫くして矢田川の花火が開催の打ち切りを決めたためだ。
いや、実際の理由は定かではなかったが、万が一の責任の大きさを前に逃げだしたのだと、だれしもがささやきあっていた。
わたしの花火大会も終わった。
一緒に行っていた仲間たちが、今は別の花火を観に行っているという話を聞かないところを見ると、わたしではなく、わたしたちの花火大会はあれがすべてだったのだとおもう。
真上に咲く花火から、星のように降る火の粉に手を伸ばし、希望を掴んだような気持ちになったものだ。
お弁当のたまご焼きも唐揚げも、すべて手づくりで甘辛くふっくらとしてまるで光そのものだった。
今夜の西の空の下には、どんな光が集まっているのだろう。
そういえば、矢田川の花火にきちんとさよならを言っていなかったなぁ。
そんなことを考えながら、花火がまだ終わらないうちに家へと向かうのだった。
その音はすこし遅れてやつてくる火の花を目に留め置くために
漕戸もり
