ドライヤーが壊れた。
といっても、ターボスイッチが入らなくなっただけで、それ以外は作動するのだから、厳密には不便になったといったところか。
大昔には弱と強、冷風と熱風くらいしかなかったドライヤー。
今ではワットごとで風量が切り替えられ、なんだか良さそうなマイナスイオンの風とやらを吹かせることができる。
技術の日進月歩は素晴らしい。
お勉強のできるひとたち、どうもありがとう。
さて。
一度贅沢を覚えたら慎ましい生活には戻れないというように、不便になったドライヤーが急に赤の他人のように馴染まない。
そのうえ猛暑が続く八月である。
シャンプーをした髪は、強風(それでも強い風というらしい)に吹かれているというのに、ターボの何倍も時間がかかるため、髪が乾く頃には汗で濡れてしまい本末転倒の事態。
と、
このように言い訳を並べ、今まさに新しいドライヤーをポチッとしたところである。
大昔、当時のドライヤーを文句なく使っていた。
そういうものだと思っていたからだ。
そういうものではないと知ってしまうことで、別に穢れたわけでもないのだけど、なぜだか昔のわたしのほうが愛しみがあるような、そんな気がするのはなぜだろう。
大人になると薄汚れていくような感覚と、それはちょっと似ている。
八月の蓋を緩めて待つてゐるマイナスイオンの風に吹かれて 漕戸もり
マイナスイオンの風。
素直になれないな。
