五輪の気配をいちばん感じるのは、自動録画している1日3回の体操が録れていないとき。
開会式の日。
いくらなんでも早朝の体操は放送するでしょうと思っていたら、セリーヌディオンが「愛の讃歌」を熱唱中の画像が映っていた。時間的にドンピシャだったらしい。
国民のたった10分の健康習慣を阻止してまで流す?
仕方がないから、ゴミ箱に入れた使用済み(体操したら動画は捨てるというルーティン)動画を取り出してきた。
録画ができないようなアナログの高齢者の方々は、さぞかしお困りのことだろう。
わたしの母がそうだ。
以前はできていた録画のやり方を、何遍教えても紙に書いても覚えられない。
もちろんYouTubeやTverなど検索できるはずがない。
放映時間に合わせて起床していた数年を経て、今では体操自体をやめてしまった。
話を戻そう。
そうは言っても、五輪である。
SNSでダイジェストを観る程度だけど、いい場面を凝縮してあるだけあって、いちいち感動する。
馬術、体操、スケートボード、卓球、射撃。。。
観客は感動して感謝だけしていればいい。
感動すな、と言われても心が動くこと、じぶんの中に人間らしさがまだあるのだと思うと安心する。
ありがとうしかないな。
感謝の気持ちとして、体操の時間を差し上げている。
これが正しい気持ちの整理術である。
八月の雑魚寝を跨ぎ会ひにゆく
ハンカチを畳みなほしてゐるうなじ
夏深し同意書の枚数多し
簡単に許してしまふ夏の蓋 漕戸もり
連作。
つけを返しました。