個人的赤ワインブームが続いている。
キャンティに始まりキャンティに終わるような安上がりの舌だけど、二日で一本空けるペースに資源ごみ係の家人から、アル中のような扱いをされるようになってきた。
敵の焼酎は基本炭酸で割っているらしく、全く減る様子はない。
それがまた気に触るらしい。
こちらは節度を保って飲んでいるのに、おたくはなんだ、この瓶の数を見たまえ。
隠そうったって無理だぜ、と勝ち誇るように言う。
 
まあでもね、そういう耳の痛いことを言ってくれるのは家族以外にいないので、もうすこしお手ごろなアルパカなんかを買ってきて、わざわざお値段をひけらかし、空瓶は減らないがこんなにコスパのいいワインも買っているんですよ、すごいでしょ、努力してるでしょ、家計のために考えているんですよこうみえて、というようなしおらしさをみせたりしているところである。
 
それにしても。みなさまご存知アルパカの赤。
つくづく最強である。
安定のチリワインで、食事の邪魔もしないのに食前酒や食後酒にもってきても優れたパフォーマンスをみせる。コストも素晴らしく、1,000円を握りしめて行ったコンビニで、アルパカ赤とスモークチーズと100円ナッツを買ってもまだお釣りがくるのは、この円安物価高の日本において、救世主としか思えない存在感。
ありがたいことです。
 
ありがたいといえば、シャトレーゼの樽ワインも欠かせない。
これは以前から言い続けているから詳細は省くけど、購入した瓶を店舗に持っていくと、目の前の大きなワイン樽から新しい瓶に詰めてくれるというシステム。
他府県のシャトレーゼがどうなのかは知らないけど、愛知県内では郊外にしかないので、家人の仕事の取引先が郊外で、その帰路に運良くシャトレーゼがある場合に買ってきてもらう。
実はこれもまた、家人からの風当たりが強い要因でもある。
 
書いていると、こんなくだらなく馬鹿馬鹿しいことに一喜一憂するような日々に、意味などなにもないような気がしてくる。
残念ながら、意味ない日常の積み重ねが人生なのである。
ならばやはり酔うしかないだろう。
 
 
お菓子も最強
 
 

 

引き寄せる力を抜いて差し伸べる木耳もどす水への腕を

漕戸もり

 

 

木耳。

存在そのものが詩であることをどうやらこいつは知っている。

一度死んで乾いても、再び甦らせても、口笛を吹いて知らん顔をしているようなところがある。

詩なのだから、それくらいの覚悟がないと生きられない。

死んでなお生きてゆくこと。

よっぽどの覚悟だと思う。