タイトルは栗山英樹さんの言葉。
すこし前にメモしておいた。
スポーツをされている人、特にそれを職業にしている人の言葉には名言が多い。
スポーツひと筋でやってきたいうことは、その一点だけを突き詰めてゆくような日々が当然あるわけで、そのほかのことが不用意になることは致し方ない。
そのために、金銭感覚がずれていたり、言葉足らずだったり…、わたしたちとは違う質感が備わってしまうとしても、凡人には持ち得られないだろう素晴らしい能力を発揮し、感動を与えてくれるのだから腹も立たない。
ただ、そういう理由から、スポーツ人で尚且つ「言葉」をうまく操れて、経験や心境を「語る」ことの巧みな人はほんとうに少ない。
野球で例えると、長嶋茂雄や王貞治、イチローや大谷翔平ほどの偉人だとしても、彼らの数多の書籍は実際自身が執筆しているというよりも、聞き書きだったり、ゴーストライターがいたりというものがほとんどで、それらはどことなく説教くさい。
けれど例に挙げた彼らは、言葉と語りは上出来なので、わたしたちはYouTube等で話している映像から、至極の名言をいただくことができるので、ほんとうによかった。
スポーツと言っていいのか迷うけれど、国技である相撲における力士たちは、語彙が圧倒的に少なく、彼らのみずみずしい心根、本心とでも言おうか、それは推しはかるしかない。
日本人たるもの男たるもの、ぺらぺら語るものじゃない!というのは、相撲のセオリーなのだと納得させられているような状況だ。
先に言ったように、それに腹を立てているのではない。
もしも叶うならば「言葉」を持って欲しいという、つまらない凡人の欲求なのだ。
語る言葉を持つ人は強い。
競技を観戦しないような人たちでさえ、広く深く強く共感したり励まされたりする。
学びをすこしわけて欲しいと、凡人は願うのだった。
栗山英樹さんは、自身の言葉で語ることに長けているスポーツ人のひとり。
喋りや内容構成がアナウンサー並みに上手い、という意味ではない。
それをいえば、感情が迸りとっ散らかることもあるし(上から目線(笑))、「要するに」が口癖で(わたしもこれに逃げたくなるからわかる)まとめるかと思いきや、まとまりきれずまた要する、みたいな語り口も、気にならないと言えば嘘である。
でも、技術や文法なんて正しくないほうがいいくらい。
そうやって伝えてくれる彼の「言葉」は、どれもこれも付箋を置いていきたくなるような名言で溢れる。
言葉を持っているか。
スポーツ人ではなくても、わたしは語れているかどうか省みる夜。
これは観ていないけれど参考までに貼っておきます。
※消されたらごめんなさい
ブローチが守宮にみへて引き留める 漕戸もり
どれどれ、と顔を寄せるときがある。
ブローチのことあるし、ピンバッジのこともあるし、チョコレートやビスケットのこともある。
顔を寄せてから、匂いを嗅ぎたくなる。
守宮の匂い。
知ってたら最強だと思います。