普段はどおってことないのに、酔っ払ったときとか、仕事が立て混んでいるときとか、雑事から逃れたいと思うときとかに、『会いたい』と思うような人がいるほうがいい。

いや、実際会うかどうかは別のお話し。

むしろ、こういうときに会いたくなる人とは、会わないほうがいい。

 

ダイヤル回して手を止めた

I'mjust a woman

fall in love

🎶「恋におちて」 作詞小林明子

 

これは恋の歌だけど、恋人でなくても、急に会いたくなるひとって、いないかいるかどちらかなら、いる人生のほう断然豊かな気がするのだ。

ただ、この歌詞にあるダイヤル的なもの…、会いたい!と思っても、そう簡単に会うわけにはいきませんよ、と考えさせてくれるような役割のものが、すっかり便利になった令和の世の中になさすぎて、おかげでずいぶん暮らしやすくはなったけれど、会いたい、じゃあ会いましょう、とすぐになってしまうのも、それはそれで複雑な気分になるのだった。

 

とある日。

酔っ払って『会いたい』という感情が膨れ上がってきた。

けれど、会いたい人が誰だかさっぱりわからない。

会いたい気持ちだけを抱えて乗る終電には、同じような顔の、味のないガムを噛むようなひとたちがゆれていて、お互いがまさに会いたい人のまま、それぞれの駅に降りてゆく。

くそ。

誰だ、わたしの会いたい人とは。

 

 

むしゃくしゃしたときの中華。

 

 

 

父の日の父亡き椅子の父らしさ  漕戸もり

 

今日会いたいのはふたりの父。

亡くなってからのほうが、傍にいる気がする。

ひとりで意地悪なことを考えいても、亡き父が見ているような気配があるものだから、なんとなく(ごめんなさい)という気持ちになる。

亡くなってからのほうががっかりさせています。

ごめんなさい。

ふたりのお父さん。いつもありがとう。