入り用があり、クローゼットから出してきたリコーダーとアルトリコーダー。

問題はアルトだった。

使用した形跡がない。

メンテナンスセット(棒とワックス)すら開封されていない。

タイムスリップするみたいにひらくアルトリコーダーは、美しいほどせつない気持ちにさせる。

これはわたしのものではなく家族のものであるけれど、そういえばわたしのアルトリコーダーもほとんど使わずだった。

別に音楽家になるのでもなく、友だちになれないようなひとたちも混ざっているような教室で学ぶ音楽の授業。小学6年間ピアノのレッスンに通っていたわたしでも、ほんとうに苦痛だった。

音楽の教科書に載っていたベートーヴェンやリストの肖像画に赤いペンで口紅を塗ったり、ロン毛にリボンを描いたり…。

あれが詩歌への窓口だったのかもしれないと言えば聞こえはいいけど、歌唱やクラッシックの素晴らしさを認識するのがずいぶん後になってしまったのは、人生の損失だったと思う。

すべて音楽の授業のせいとは言わないまでも、音楽の入口があそこじゃなければこんなことにならなかった、とは思う。

 

新品同然のアルトリコーダーから、屑のような思い出しか出てこないというのは寂しい。

今の小学校でも購入は義務なのだろうか。

じゃないといいなぁ。

 

高価そう。実際高価。

 

届かない足で数へる八小節 あれが最初のはじめてだつた

漕戸もり

 

 

ピアノのレッスン。

椅子から足が届いた頃、レッスンを辞めてしまった。

はじまりは終わったままだ。