歌人には老若男女問わず妖精が多い。
このひともそのひとり。
妖精のなかでも、軽くて薄くてうっかり口にしたら甘い。
それでいて、大きいものにはぜったいに飲み込まれないというような眼をしている。
 
先日の歌会で、『女子』と『少女』の圧倒的な相違の話が出ていたけれど、このふたつで全女性たるものを二分化すると(ジェンダーとかそういう難しい話は一旦傍に置いておいておく。あと年齢も関係ありません)、クイズ100人に聞きましたら100人とも『少女』とこのひとを言うだろう。
ちなみに漕戸もりはどちらだと問われれば、『女子』だと思う。
おじさん寄りの。
 
まあわたしのことはどうでもいいとして。
 
この妖精のネットプリントが出た。
先に述べたように、一見ひとりではどこも行けないようなか弱き雰囲気を持ち合わせているから、他の歌人さんと一緒にとか、声をかけられたからとか、そういうそよ風っぽい在り方でこれからも活動をされてゆくのかなと思っていたら、フューチャーリング自分、である。
軽くて薄くて甘い、けれど手ごわい。
ネットプリントだからすべてはここに載せられないけれど、添えられたイラストもこのひとそのもので、わたしたちはうっかり気を許してしまうのだった。
 
用心深く作品を読んでゆく。
すると、このひとの『ぜったい』が花びらのように降り注いでくる。
槍でも雨でもない。花びら。
花びらが生きざまだなんて、なんてチャーミングなのだろう。
触れるとこころが柔らかくなるようなそんな歌たち。
第3号も健在です。
 
 
かえるに臍はあったのだろうか
 

置き傘をもどす加減がわからずに番号で知る梅雨の階段

漕戸もり