これを食べたらもう他は食べられない、という経験は贅沢で罪深い。
人生で何度あってもいいけれど、度々続くと自分が高慢な嫌な人間に育っていくような気がしないでもない。
お中元の期間が過ぎると、今度はお盆の手土産の季節が巡ってくる。
嫌な人間だと落ち込むのはこんなときだ。
いわゆる盆と正月しか会わないような、深いのか浅いのかよくわからない、なんならファーストネームネームもわからないようなおつきあいの方のことを、
あの塩辛いお漬物のとか、果汁20%のゼリーセットのとか、温泉の素セットのとか、
いただくお品を言い合えば秒で当ててしまえるようなとき。
残念なのはわたしの方なのに、お漬物やゼリーや温泉の素があたかも嘲笑の対象のように思うのは、いったいなに様のつもりなのか。(わたしです汗)
それでいて、そのお品がしらすやビールや肉だったりすると、フルネームさえ知らないのに、しらすさん、今年はまだかなぁ、などと自分勝手に待ち遠しく思ったりするのだった。
人としてまだまだです。
 
写真のしらす。
もうあなたしかだめなわたし。
※ちなみにゴルフの参加賞
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
 
 
 
肉より好き

 
 

蹴飛ばして夏掛の縦横探る   漕戸もり

 

夏掛けはほんとうに腹が立つ。

ひとを怒らせることを存在意義としているのではと勘繰るほどだ。

寝始めは適当にお腹に掛けているのだが、深夜どことなく足先が寒いと、ほぼ寝ている脳みそは足を使い夏掛けを広げ縦横をまさぐるのだ。

これくらいのことで電気を灯せば、朝まで眠れなくなるのは寝ている体も知っているとみえて、

結局、暫くぱたぱたしているうち、足を剥き出したまま眠りに落ちるのだった。

そう簡単に縦横を定めるわけにゃいかんのよ、という理由でもあるのだろうか。