吐く息の見えない春のただなかに身籠るひととゆく西松屋 漕戸もり
第390回中日短歌会秀歌より
若い友人たちに空前の懐妊ラッシュである。
請われて買い物につきあうこともあるけれど、どうも2回目のお誘いがない。
お誘いはある。
頼りにされているのかは実際怪しいけれど、とりあえずおもしろがって聞く力だけはだれにも負けないのだから、彼女たちはなにかとラインを寄越す。
ただし、お買い物の誘いは総じて最初の一度きりなのだ。
原因はわかっている。
若い友人たちは一様にして言うのだった。
買い物したい〜!
何もいらない。買うな。こんな絵空事のようなものは使わない。家にある◯◯で代用できる。水を吸わない或いは吸いすぎる。この玩具では遊ばない。お下がりで十分。ファーストシューズ?すぐに成長するから履かずに捨てる運命。
などなど…。
わたしのアドバイスは西松屋の敵である。
仕方なく自身の髪留めや下着などを買い求めた妊婦友は、帰りのカフェで「でも、これは揃えておいたほうがいいものってない?絶対ない?忘れてない?」と心残りのように言う。
それでもやはり「ない」。
資金に余裕があり、買い物で心が満たされるということであれば、それは有効である。
でもそうでなければ、今はただゆるゆると自由な時間を楽しむことがなによりも大切だと思うよ、とわたしは彼女に合わせて注文した、白湯のようなほうじ茶を一気飲みするのだった。
はじめての赤ちゃんなら尚更、2人目でも3人目でも、母になった途端自由はない。
自由よりも大切なものがやってくるのだ。
だからその日のために1日1日を丁寧にゆるゆる過ごして欲しい。
このての贅沢な時間は瞬く間に過ぎてゆくのだよ、恐ろしいほどに。
見えない。「見へない」じゃありません。
『心の花』の田中さん、いつも教えてくださってありがとうございます。
精進します。
