お土産は嬉しい。
もっと言えば、いやげものだとしても嬉しい。
お土産をもとめるとき、たとえ数分でもわたしを思い出してくれていたという気配が嬉しいのだ。
わたしは思い出す。瞬間、あなたの顔をはっきりと『見る』。
わたしがお土産を買う側になったときと、あなたとでは違うかもしれない。だけど、あなたにいくら腹黒い思わくが渦巻こうとも、面倒な先輩だからさぁ(面倒な先輩、の部分には、うるさい後輩、酒飲みのお姉ちゃん、いつもふざけている、つかみどころのない等…変換可)とぶつくさ言いながらだとしても、それでもやっぱり嬉しい。
そのときにこそ、生きている価値があるとすら思う。
ホールのバウムクーヘンを切り分けて、その一片をいただいたきもちになります。
本之木餅とえび伝
※本のきもちとエビデンスではありません
駅売りの夏に震へる菓子揃ふ 漕戸もり