コワモテネイリストさんから逃れて早くも半年。
今お世話になっているネイリストさんは押しの強いタイプではないので、ゆるゆると果てしなくつづくような女子トークも楽しみになってきたところ。肝心のネイルアートは『お手入れはしています』くらいで十分。ネイルでも仕事でも詩歌でもなんでも、最後に勝つのは人だなぁと思います。
最近、インスタに明菜さんの近景がやたら登場する。
たぶん自覚なくググっているのだろう、インスタ氏が先回りしてほいほい送ってくれるのだ。
それにしても明菜さん。
復活を歓迎していいのか迷う。
いい意味で存在感がなくこの世のものなのかどうなのか、もうすでに女神みたいになっていたところに、わたしたちと同じく少々お年を召し、尚且つ歌い手の命であるお声が衰えているのをあからさまに見せられ、泣きたくなるようなこの気持ちはどうしたらいいのだろう。
山口百恵がちあきなおみが良い、と言っているのではない。
中森明菜としての生きかたとして、これは正解なのだろうかと惑うのだ。
余計なお世話だけど、彼女のまわりに良きブレーンがいるのかどうかすら心配になってくる。
人は老化する。
それを詳らかにする覚悟を決めたのだろうか。
芸能の末端も末端にいて埃みたいに漂っているわたしですら、老化を忌み嫌い、死ぬほど憂鬱な運動を毎日欠かさずまるで囚人のようにしているというのに、我らのミューズはほんとうに正気なのか。
一緒に年を取ろうね、というわたしたちの次元には、いくらあなたが望もうとも、来てはいけない来て欲しくないと願わずにはいられないのです。
夢を掴む手
牛乳で消す葫と死のけはひ 漕戸もり
