毎日毎日誰かの誕生日があると考えると、しあわせな気分になる。
誕生日のひとが、ギャングでも、政治家でも、子どもでも大人でも、わたしのようなつまらない者でも、とりあえず今日くらいいいよ、とゆるしたい心もちになるのだ。どの目線から言っているのって話だけれど、それでも、許すというより、赦すというニュアンスの(ゆるす)を、世界中のひとが毎日感じていたらどんなにいいだろうと思う。
※当然ですが悪事を認めるということではありません
毎日が誰かの誕生日。
忘れないでいよう。
誕生日のひとをみんなで祝う。
なぜだかわからないが、最後には全員が「ありがとう」と言い合うような温かな会だった。
やさしい味の担々麺
塾代が出せるくらいの昇進を知らせる春の異動のメール 漕戸 もり
異動の連絡が多い。
寂しくもあり寂しくもあり、寂しい。

