十人いたら十通りの家庭の味がある。
特に家庭のカレーライスは、いくら同じルーを使っても、同じ材料を投入しても、レシピに忠実な分量で作ったとしても、その家のニュアンスが含まれる。
レシピどおりにカレーを作るとしよう。だとしても、盛りつけの加減、ご飯の炊き方、カトラリーの種類などで、やっぱりカレーライスはそれぞれの家庭の味わいに落ち着くのだ。
以前。子どもの頃、友だちのお母さんの作ってくれたおにぎりが食べられなかったという話を書いたけれど、たとえわたしの母がトイレのあと洗わない手でにぎったとしても、自分の家のおにぎりが食べたいという気持ちが勝つのはどうした理由なのだろう。
料理店は別として、今でも他人が作ったカレーライスやおにぎりは、違和感のある家庭の味だけど、自分が料理をする立場になってからは、作っていただけるだけでありがたく「美味しい美味しい」と食べられるようになったのだから、つくづく人というのは抑圧から成長するいきものだと思う。
 
 
これだけで1カ月は生きられる

 

春霖に喉鳴らし飲むハイボール   漕戸 もり

 

生きたいと思うの、こういうときだけだなぁ。