短歌ホリックのペーパー版。
歌人の荻原裕幸、小坂井大輔、辻聡之、廣野翔一各位が同人の「短歌ホリック」。
ペーパー版は号外?のような風合いで、ゲストがいないぶんすっきりと読みやすくなった。
ゲストがだめというわけではなくて、わたしのようなあまのじゃくは、4人がいい、4人でいい、4人で何かしでかしてくれ、という感情が抑えられないのだ。
三代目から純烈(ホリックメンバーはどちらかといえば純烈に近い。要するに、さわれるおじ…いやお兄さんたち)、女性ユニットなら乃木坂まで、ファンであればあるほど、あなたをもっと知りたいという気持ちになるのが心理だろう。そういうつまらないファン心理です。
 
読んでいきましょう。
 
妻とするキスを今よりつまらなく感じてた日にもこんな朝鵙    荻原裕幸
 
荻原さんの今や定番「妻短歌」。夫婦詠によく見られる微笑ましさに収まらず、ちょいちょい毒が滲んでくるのだけど、それでいて美しい印象を残す。あの騒がしい鳴きかたの朝鵙を引用して、好き嫌いだけでは成り立たない夫婦の機微をひらいているように感じられるのも秀逸。実際の鵙は激しい鳥のイメージがあるけれど、俳句や短歌に登場すれば、文学的に高めてくれる鳥の一種。ここでも今とあの日を繋げるような役割で、朝鵙の煩さも蘇ってくるようだった。
 
全三巻で終わる人生なのかもと悟ったり壊れたり抱きしめたり   小坂井大輔
 
わかりやすく漫画で喩えてみると、全三巻というのは短くもなく長くもないけれど、どちらかと言われれば短めで、手に取りやすく、もうすこし読みたい願望が残る。そのように考えてみると、人生を巻数に数えた場合、三巻くらいが適切だという気がしてくるのはなぜだろう。悟ったり壊れたり抱きしめたり、がそういう気持ちへ誘導する。歳を重ねることを、進化というかどうかはわからないけれど、小坂井さんの短歌の深まりかたはえげつない。だてに中華鍋を振っているわけではないのである。
 
とりあえずわからないんです、という人も税務署に来るとりあえず来る   辻聡之
 
確定申告あるあるでありながら、一気に辻聡之ワールドに引き込む連作の一首。
もう何十年と確定申告をしているわたしでも、ちっとも慣れないのだから、はじめての確定申告であれば尚更、何を見ても聞いても不案内なのだろう。それでも、万年少年の辻さんにかかれば格好の題材になるのだからおもしろい。とりあえず、という初句は絶妙。この言葉で国民全体がひとつになった。あなたもですか、わたしも実はねなどと、つい知らない人と話し込んでしまいそうだ。(とりあえずわからないから来た感)しかない税務署の窓口に、辻さんの感性がひかる。
 
豆食べる私の貌は豆食べる人の自画像に寄りて影深し   廣野翔一
 
豆。節分の日なのだろうか。それにしても顔ではなく貌である。むじなへん。なんとなく怖い。狂気に近い恐ろしさがある。迫力というか。イタリアの画家アンニーバレ・カラッチの「豆を食べる人」を観ているらしい。豆を食べながらだから、美術館ではない。つまりどこかわからないが、私はひとりで豆を食べており、その影が、同じく「豆を食べる人」の自画像に近寄ることで、深く垂れ延びている、で合ってますか???なになに?何が起こったの?という気持ちが何度も何度も交差する。もう良いか悪いかすらわからない。「考えるな!感じろ!」「はい!わかりました!」
…ということで、感じているうちに、文学作品を読んでいる気分になってくるから不思議。
 
 
 
ペーパー版。時々出して欲しいなぁ。

 

取りはずし自在な羽根の印象でおすすめされる薄手のコート   漕戸もり

 

天気予報士の常套句「薄手のコート」

意外と役に立つことは少ない。人に羽根は必要ないのです。