「雛の間」について考えていたので、先日母から送られてきた雛飾りの写真を眺めていた。

ずいぶん前に書いたと思うけど、七段を組み立てる父が亡くなってからは、こんなふうに木の幹を丸ごと卓にした漆塗りの無駄に立派なテーブルに、赤い毛氈を敷いて雛を飾るのが母の定番となった。

無駄に立派なテーブルも、三月だけは無駄に拍車がかかる。

重いし、ごついし、硬いし、やさしさの欠片もない。それに、やたら主張してくる。

だからというわけででもないが、赤い毛氈で覆うというのは臭いものに蓋をする役目も担って、もうあまりお客も来ない和室が急に華やぐ。

最近は母も高齢になり、15体のお雛様を出すだけで精一杯らしく、雛道具は箱に入ったままだけど、自由気ままに向かい合っている人形をみるだけでも、いかにも楽しそうで悪くない。

 

お雛様と一緒に、文旦などの柑橘類が写っていた。

文旦は、サイズを示すため横に置いてある煙草のハイライトみたいで、雛たちに邪魔だと思われていないかと少し心配になるけれど、まあこれも話の種にしてくれればいい。

なんだか、お雛様が喋ったり動いたりするかのような話ぶりになったけど、わりと本気である。

まだ恋すらも知らなかった子どもの頃、一人留守番の春にこっそり男雛と女雛を向かい合わせにして、ご満悦だったわたしの少女は生きている。そして毎年、あのときの気持ちで雛人形を眺めているのだ。

 

後ろにも実家定番の古道具が並ぶ

 

 

手にのこる乳液を首に馴染ませる湧いてきさうな兎の色の

漕戸 もり

 

とある道から、捨てられたと思われるうさぎが、わらわらと出てきたそうだ。

なぜだかわからないけれど、うさぎの気持ちは雛人形の気持ちよりわかりにくい。

うさぎのかたちなのか、まなざしなのか、色なのか、どうも掴みどころがないのがいけない。

その点雛人形のことは、わかったような気がするのだから、人というのはつくづく不思議な詩人である。