今年米寿をお迎えになる作詞家のかたが、自ら企画された音楽会と祝賀会。
御歳88歳とはいえ、打ち合わせの日も当日も、手押し車で都心の会場までおひとりでおみえになった。
白髪を短く切り揃え、小柄な体に美しい手刺繍のスカーフやニットを上品に羽織り、手押し車とはいえ、会場ロビーに佇むお姿は、なにものにも喩えようがないほど神々しい。
年齢を祝うのはついでで、お世話になっている方々へ感謝を伝えたいと言う。
誕生日は、誕生したひとを祝うというより、産んでくれたひと、これまで育ててくれたひと(主に家族ではあるが)へ感謝の気持ちを伝えるのが、このごろの主流であるようにおもう。
それが米寿ともなると、その思いは一段と深くなるのだろう。
 
当然ながら、音楽会で演奏される曲はすべて彼女の作詞である。
作詞家が食事会の冒頭の挨拶で「ある日ふと流れてきた曲に聴き惚れていると、なんだこれ私の詞じゃないかと途中で気づいたことがあって、なるほどいい曲であるはずだと改めておもいました」と話され、会場は拍手喝采となった。
ユーモアでもあり、本心でもあり、人生の先輩にはどう転んでも太刀打ちできない。
 
先輩達には、もっともっと生きて欲しい。
ただ生きてくださるだけで、ありがとう。
 
 
バルーンの鶴亀。おめでたい。

 

母の産み落とした空の手ざはりに八十八度目の風が吹く

漕戸 もり

 

八十八歳の人にも母はいる。

そういえば母は、だれにでもいるのだった。