数字と対峙している。
年が明けてからもうすでに、そのもやっとした影は心身のそこかしこに張りついて、新年会だの送別会だののほろ酔いのときでさえ、どことなく芯が冷えていた。
ご縁だけで仕事をしているようなものとはいえ、遥々出かけてクライアント氏の顔を見に出かけたり、時には御用聞きのようなことをしたり、自分では一生食べられないような…例えばデパートで買う一個の高級宮崎マンゴー…を進物にお持ちしたりして、繋がれていくような仕事もある。
心を傾けるというのは、お金をかけなくてもできる。ほとんどがそうだ。
けれど、大きな後ろ盾もなく、実力だけで細々と屋号を守り継続するには、正直費用がかかる。
女ということも、まだまだ弱い。
わたしたち業界は世の中の最先端に思われがちだけれど、まさかの真逆で、具体的な事柄で言えば、眼鏡をかけて舞台に立つのも、定年間近でニュースを読むのも、男性にはゆるされているのに、女性には厳しい世間のルッキズムが立ちはだかっている。
そんな脆弱さを補うのが、心くばりであり、金銭なのだとおもう。
銀座のママではないが、ある程度の政治経済環境時事問題にも通じていないと、飽きられてしまう。そのときその方に合わせて用意する知識なので、すぐ忘れるから(ほとほと頭が悪いので、忘れないと次の知識が入ってこない)無教養のままなのだけど、さらっと冒頭だけ読んですぐに売ってしまう最新経済書の費用が、ギャランティーを遥かに超えることも仕方ない。
不器用さだけが明るみになるこの季節。
今その只中にいる。
 
 
これはしがらみのない頂きもの。無心でかぶりつく。

 

部屋干しの隙間をにほふ花曇

漕戸 もり