、てなこと。
ありますよ、人間だもの。
 
先日。
親しい仲間たちと、今まででいちばん痛手を受けた失恋はどういうものだったか、という話で盛り上がった。
ずたぼろにされた失恋、ありますよそりゃ。
詳しくはまたの機会にするとして、要するに突然彼はいなくなったのだが、別れの言葉さえなく愛していたものが忽然と消えてみると、美しい思い出にさえ泥をぬられたようで、わたしはわたしを責めるのだった。
彼は彼なりに、もしかしたら断腸の思いだったのかもしれないが、それにしてもかなり長いあいだ、細胞がいつもとくとくと音をたてて、泡立っているような感触でいたのを、質感として覚えている。
更に残念だったのは、数年前のこと。
fbに、彼からしれっと友達申請が届いたことだった。
その名前を見たとき、あゝこのひとはなにもわかっていなかったのだな、と気づかされた。
わかったのだから、よかったといえばよかったのだけど、この鉄屑のような男に恋をしていたのも、まるでわたしの阿呆丸だしのようで、一層惨めになってしまった。
当然、速攻でブロックしてシャットアウトしたのだが、なんだろうこのあとに残る敗北感は、とよくよく考えてみると、それはこの粗大ゴミのような鉄屑を、完全にクラッシュなどできないという諦めに似た感傷だった。
彼が突然いなくなったときより、この(負けた)という思いをしたとき、時を経てやっと完璧なまでに失恋したような気がする。
 
時々、今どうしているかと思う。
我ながら、負けっぷりもここまでくると相当なものだ。
けれど、もう会うことはない。
負けは負けなりに、誇りを持って生きている。
 
 
なめんじゃねえ

 

ネクタイのない襟足の不自由さで駅のホームにきしめんを食む

漕戸 もり

 

昨日、麺は蕎麦に限ると言ったはなからきしめんかよって?

おつきあいということもありましょう、人間だもの。