どんどこどんどこどんどこどんどこ、読まないまま古くなる新聞。
遂に、来月より購読を一旦やめることにした。
どうしようと、ずっと迷っていたので、満を持してという心境。
情報はネットから入ってくるけれど、新聞の誠実さと取材力を信じていたから、そうは言ってもやっぱり新聞に勝る情報はない、と頑なに購読を続けていた。
けれどこのところ、この持論が怪しくなってきた。
特にコロナ禍以降の記事や取材内容が、SNSに依るものが多くなったように感じるのだ。
テレビでも、例えばYouTubeから話題を引っ張ってきて、少々色をつけて見せるということが、あたりまえになっているように、取材力(十分な費用や時間、或いは人材)の脆弱さは、どうしようもなく新聞本来の魅力を凹ませているのだろうか。
それとは別に、昨年は、新聞歌壇や俳壇への投稿も激減した。
特にT歌壇や俳壇は、尊敬する歌人俳人が選者なので、投稿したい気持ちはあるのだけど、新聞という媒体の意義に沿うような作品づくりに、すこし疲れたのだった。
孫、旅、病、子ども、家族…。
万人が読み共感していただける題材が、秀歌句になりやすい新聞歌壇俳壇は、学びに最適である反面、時に冒険心をさまたげる。まあこれも、わたしが未熟であるからに過ぎないのだけど。
年末年始の新聞たち。
新聞店には「とりあえず1か月お試しで(新聞購読をお休みする)」と伝えたけれど、気持ちは既にさようならに傾いている。
ありふれた休符をひとつ置いてきた川底きみのながれのにぶい
漕戸 もり
新聞は、ことの重要性をどのくらい自覚しているのだろうか。
