年末に、平和園で短歌のひとたちと数本空けてから、紹興酒にはまっている。
あれ以来、数人で町中華に行くとボトルでたのむ必須アイテムだ。
この主観的ブームも、またいつか終わるのだろうけど、底に沈む黒砂糖やザラメを混ぜながらの大人飲みは、20代そこそこでは絶対に叶わない味わいがある。
ほ〜とか、へ〜とか、感嘆詞の(は行)を挟みながら、だらだら飲むことのどこがたのしいのかと、つい最近まで疑問だったけれど、それは、だらだらではなくゆるゆるとであり、たのしいのではなくいつくしみなのだった。
先日の成人の日の仕事では、光り輝く新成人たちの圧にひっくり返りそうになったけれど、うまくからだを長持ちできたなら(要するに、できるだけ健康でいられれば)、こうして、噛みしめるような時間の過ごし方ができる日がくるということを、光たちには是非とも知っておいて欲しいとおもう。
酒飲み限定、と言っているのではない。
飲みものは、ウーロン茶でもオレンジジュースでも白湯でもいい。
大人が、ため息に似た(は行)を、合いの手のように入れながら飲食を囲むひとときは、生きてきた褒美のようにやさしい。そのじつ、お互いの話に耳を傾けているかと問われればそうでもなくて、ときどき話題が迷走するのも案外悪くない。
八代亜紀さんが亡くなった。
名画「駅STATION」で、大晦日の居酒屋でテレビに映る紅白歌合戦から、八代さんの舟唄が流れてくるシーンがある。居酒屋には高倉健と倍賞千恵子しかいなくて、ふたりが寄り添って舟唄に聴きいっているのを、ストーリーの記憶がおぼろになった今でも鮮明に思い出せる。
じいさんとばあさんが見苦しい、とさえ思って観ていた当時でも、八代亜紀の舟唄と高倉健と倍賞千恵子は、ぬぐってもぬぐっても立ち上がるまぼろしのようだった。
舟唄を、八代亜紀を、アップルミュージックで聴いている。
死を以て知った八代ジャズのアルバムは、びっくりするほど素晴らしい。
せつない。
まぼろしをみた若い日もまぼろしもあなたが死んでまた立ちあがる
漕戸 もり
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
🎵舟唄 より一部抜粋 作詞 阿久悠
大人の手ざわりがする。
阿久悠さんだったのか。
紹興酒は瓶ごと温めてください
