忘年会もすべて終わり、やっと文芸に向かう。

とはいえ、大掃除や今年中に済ませておきたい山のような雑事の前のつかの間の休息である。

こんなときは、あまり深く考えず、さくっと読めるのにじんわり心に残るような詩歌が望ましい。

 

短歌同人誌「羽根と根 11」を読む。

8名の秀悦な歌人たちが競う連作集。控えめな装丁に好感。

 

玄関を出たはずなのに玄関のような顔した改札を出る

後輩の九割五分と先輩の一割に姉さんと呼ばれて

十円禿げ時代を生きた髪たちと別れる鏡張りのサロンで

誰のために結う髪型か来賓も連れもほとんど所帯持ちかよ

上本彩加 連作「シャチハタを押す」より 

 

一首目。ああ、と合点がいった。改札で、どちらかといえば朝が多いが、多くのひとがみせるあの顔は、玄関のような顔、と言われればそう見えてくる。(朝の場合)眠っていた名残りを漂わせながら、棲家とそれ以外との境界が自らなのだから、あれ?今どうしてここにいるのだろう、と思うのは当然である。

その中には、稀に改札のような顔のひともいる。そういう顔のひとは、こちらも朝によく見かけるけれど、概ね達観していて、感情的になることはなく、淡々と改札を吐き出されてゆく。

そのことに気づくと、玄関顔の傷つきやすさが際立つ。

二首目。姉さんというより(姐さん)なのだろう。姐御といえば、慕われる、頼もしいという印象があるが、実に都合のいい(愛称)である。用心していないと、はだかの王様になりかねない。幸いなことに、呼ばれて…を結句にしたことで、その危険を承知しているらしいことも匂わせているのだけど、承知してはだかの王様になりすましているということが、物語に厚みをもたらした。

強いひとと強気なひとというのは、時に間違いやすいけれど真逆である。この連作は、取り上げた四首をみても一目瞭然だが、強気なひとが描かれている。強気なひととは、強いひとの対義語としての弱いひとよりも、脆弱なところがある。改札、姉さんと呼ぶ後輩や先輩、鏡張り、世帯持ち。強気なひとの心を折るには、申し分のないあれやこれのチョイスがリアルゆえに冴える。

是非連作で確かめて欲しい。強気な女は、魅力的であるということを。

 

 

上本さん以外の歌人さんの短歌で、気になったものをいくつか挙げてみる。

 

 

首ひとつ入りそうだなすみっこに秀と書かれているすいか箱

七戸雅人  連作「ふむきとふなれ」より

 

何人もあなたはひとを花にするその花まみれに引き寄せられた

思い出すときのあなたは真正面もしくは紙を見ている角度

今井心    連作「札幌のシーズン」より

 

気付いたらここにいたからここにいて気付いたらいなくなっている

佐々木朔   連作「たばかり」より

 

また月が雲にかくれたもうこれさえあればいいって思っていたのに

中村美智   連作「不時着でした」より

 

朝ごはんにあんこデニッシュとハイボール(どうかこのまま)死にたくないな

夜歩く冷えたこころのゆびさきで誰かの感情をなぞってた

阿波野巧也  連作「ピクチャー・イン・ピクチャー」より

 

イヤホンにまだワイヤーがある写真 心づたいに思い出せそう

橋爪志保   連作「心づたい」より

 

降りないと船が見えない/乗らないと手を振っているひとが見えない

目の奥のたぶん灯台 あるだけで十分なのに光ってくれる

キッチンカー  夢は叶った瞬間にずっと夢だったってわかった

佐伯紺    連作「海に額縁」より

 

〜すべて「羽根と根11」収録作品

 

優れた歌はまた、優れた孤独でもある。

それぞれが持ち寄った(孤独)から、読後はひどい孤独感に苛まれるだろうとおもっていたけれど、それは杞憂だった。歌人の孤独は、一様になんだか忙しそうである。忙しさはリズムを持って、誌を読み終えたとき、一遍の名曲を聴き終えた気分になるのだった。

 

 

深夜のマック。いつもありがとう。

 
こつごもり背負ふタイプの羽根降ろす   漕戸 もり